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2015.11.13

日本人の復興力

  • 岡本行夫
  • アドバイザー
    岡本行夫

 巨大津波が4千人の生命を奪った石巻市。市内の日和(ひより)山の急勾配の坂を登りきって鹿島御児(みこ)神社に着くと、眼前には、門脇地区の町だった跡地が広がり、それがそのまま三陸の海に続く。海までは、まったいらの平面の土地。 大津波は、門脇地区の平和な暮らしと大量の人命を海に奪い去った。命からがら山頂に逃げた人々が目にしたのは、世にも恐ろしい光景だった。

 今日の石巻も、津波のあとに残った茫漠のまま。虚ろな土地はそのままだ。復興工事のペースが遅いわけではない。クレーンが林立し、多くの建設重機が動いている。ただその努力をもってしても、破壊しつくされた空間は埋まらない。

 今回は、石巻から女川町、南三陸町を回った。漁協や魚市場や仲買員組合の人々が心から歓迎してくれた。

 大震災の直後、私はキヤノン本社に行って御手洗会長に東北を助けてほしいとお願いした。直ぐに応じてくれた御手洗会長は、多額の資金提供とスタッフの派遣を東北漁業のためにしてくださった。

 キヤノンの事務機器と共に感謝されたのは、冷凍コンテナであった。船は調達できても、獲った魚や氷を保管しておく冷蔵庫や冷凍庫がなければ、漁はできない。

 そこで海運会社にお願いして、40フィートの冷凍コンテナを合計135本寄贈してもらった。それを宮城、岩手両県の13の漁港に置いたのである。スピードが勝負だった。僕達のチームはがんばり、冷凍コンテナを載せたトレーラーは、津波の3か月後には次々と港に届きはじめた。

 キヤノンの機器やコンテナの寄贈に対して、今でも漁業の関係者から感謝の言葉が相次ぐが、人々が異口同音に言うのは、スピードへの感謝である。政府の復興予算に比べれば微々たる支援だったが、とにかく、具体的な漁業支援としては、どこよりも早い行動となった。

 「漁を続けようか、どうしようか迷っていた時でした。あの支援で背中を押されて勇気が出ました。」

 驚いたのは、キヤノンの新品の事務機器は当然のこととしても、応急施設の中古冷凍コンテナが今日もなお使われていることだ。もともと政府の復旧事業で本格的な冷蔵・冷凍施設が建設されるまでの短期間の応急手当の筈だったが、ほとんどのコンテナが今なお使われているのである。当初漁港に置かれていたコンテナは、漁港が復旧されたあとは大手の仲買や加工業者に。その人々の施設が政府資金で整備されたあとは小さな業者へと、次々に渡されて利用されている。

 しかも、利用者がコンテナを加工して新しいドアをとりつけたり、コンテナの中に移動式のラックを据えつけたりと、創意工夫していることが素晴らしい。世界中でこんなことができるのは、日本人だけだろう。

 関係者が苦難を克服していく逞しさに感動する。日本人でなければなし得ない復興の姿がそこにある。

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