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2014.07.28

(大飯原発判決を読む)司法と規制委の二重基準

朝日新聞に掲載(2014年7月16日付)

  • 澤 昭裕
  • リサーチ・オーガナイザー
    澤 昭裕

 今回の福井地裁の判決は、安全規制の本質について裁判官が理解していない点が最大の問題だと思います。原発には危険が存在することを前提としながらも、その危険が顕在化する可能性を最小化し、さらに被害の広がりを最小限に食い止めるための対策を施すことが安全規制の基本的な考え方です。

 ところが、判決では「かような(福島原発事故のような)事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかどうかが判断の対象」だとして、そうした危険が「万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然」としています。リスクはゼロでなければいけないというわけです。

 一方で、福島第一原発事故の反省に立って原子力規制委員会が規制基準を厳格化したうえで各原発が新基準に適合するかどうかを審査しています。福井地裁判決がそのまま確定したとすれば、原発に関する審査について、原子力規制委員会の規制基準と福井地裁の言う「万が一にも危険性があるか」という二つの基準が併存してしまいます。

 かつて最高裁は、原発に関する裁判所の審査は、原子力委員会などの専門技術的な審議を基にしてされた行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきだとした上で、原子力委員会などの調査審議や判断に看過し難い過誤、欠落があった場合には設置許可処分は違法だと判断しました。

 つまり、原子力委員会や行政庁の審議の過程に問題があったかどうかを審査するのが司法の役割だというわけです。これなら二つの審査基準が並立することはありません。この考え方は多くの原発訴訟の判決で踏襲されてきました。ところが福井地裁判決は、特に理由も示さず、「裁判所の判断は必ずしも高度の専門技術的な知識、知見を要するものではない」として、自ら安全性の判断を下しました。

 福井地裁のような判断は今後大きな広がりを見せることはないでしょう。というのは、同様の原発差し止め訴訟を審理している多くの地裁では、原子力規制委員会の審査の成り行きを慎重に見極めようとしているからです。福井地裁のように規制委員会の判断を待たずに判決を出すのにはよほど詰めに詰めた緻密な論理が必要ですが、そこまでして早く判決しようという裁判官は多くないでしょう。

 判決は「多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低い等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されない」とバッサリと切り捨てました。電力の安定供給などの公益との調整という課題についての想像力を欠いた判決で、世論の喝采を浴びたかもしれませんが、原発の運転差し止めという重大な結論に導くにしては論理が粗雑で、上級審で支持されるとは思えません。