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2017.05.08

2つの経済学

  • 吉川 洋
  • アドバイザー
    吉川 洋

 2011年ノーベル経済学賞を受賞した米国プリンストン大学のクリストファー・シムズ教授らの唱える「シムズ理論」が話題になっている。2013年から始まった「異次元の金融緩和」がさしたる成果をあげない中、「マネーだけでは物価は上がらない(これは4年で実証済み)、財政再建路線の一時的放棄を政府が宣言すれば物価は上がる」とシムズ氏は主張する。2月には同氏が来日し、日本の経済学者も参加し、活発な議論が行われた。

 シムズ理論、プロの経済学者でも「これはすばらしい」と言う人は少数のようだが、「頭の体操としては面白い」とか、「一考に値する」程度のことを言う人はいるだろう。経済学を職業としない人だと、最近の経済学は一体どうなっているんだ、と思う人が多いのではないだろうか。問題の所在を理解するためには、経済学の歴史を振り返る必要がある。

 18世紀以来、経済学という学問の発展を担った国はイギリスとフランスだ。フランスの「合理主義」対イギリスの「経験論」と言うが、2つの国の経済学はまさに対照的なものだった。スミスに始まるイギリスの経済学は、学問である以上そこに理屈があることは言うまでもないとしても、あくまでも現実に密着したものだった(リカードは例外)。この伝統はマーシャルから20世紀のケインズまで続く。

 これに対してフランスの経済学は、19世紀前半のクールノー、後半のワルラスに代表されるような数理経済学だ。デカルトは、どこまでも理性の力を信じよと説いた。目に見えるものをナイーブに信じる人は、水の中に立っているまっすぐな棒を見て、曲がった棒が立っていると思うに違いない、と言った。正しい認識を得るために、われわれが範とすべき学問は数学である。これがデカルト以来のフランスの伝統であり、経済学も例外ではなかった。

 ワルラスの一般均衡理論を学んだ人は、マーシャルの部分均衡を幼稚に思うかもしれない。しかしマーシャルは、価格を通した需要と供給の調節は、1つの財・サービスの市場なら近似として成り立つミクロの理論だと考えたのであり、これを経済全体に当てはめる「一般均衡」を意識的に拒否したのである。

 イギリスとフランス、2つの経済学の伝統は、戦後それぞれマクロ経済学とミクロ経済学の中に継承された。1960年代までマクロ経済学はケインズ経済学だった。しかし、マクロ経済学は過去30年で新古典派理論に衣替えした。

 今日、経済学の理論は数式で表現される。クールノー、ワルラスに始まる数理経済学である。数学はすべてを明確に表現する。ただし、それを用いてつくられた「理論」が、現実の経済の本質を正しく描写している保証はどこにもない。それは、どこまでも「浮世離れ」した「理論」になりうるのである。このことをマーシャル、ケインズはよく知っていた。

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