本文へスキップ

2016.06.17

「トランプ大統領」のアメリカ

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2016年6月9日)に掲載

  • 宮家 邦彦
  • 研究主幹
    宮家 邦彦
  • [研究分野]
    外交・安全保障

 この原稿は再びワシントンのホテルで書いている。まずは次の言葉をご紹介しよう。

 「彼は米国大統領としてふさわしくない、怒りに満ちた野蛮な言動の危険人物だ」

 クリントン候補のトランプ批判ではない。1824年、第3代大統領トーマス・ジェファソンがアンドルー・ジャクソンを評した言葉だ。同年の大統領選でジャクソンは民主共和(現在の民主)党の候補だった。今の米国は192年前とどこが違うのだろう。

 米国出張は今年に入って既に4度目。今回はユダヤ系米国人団体AJCの年次総会に招かれた。AJCとの付き合いは25年になるが、パネリストになるのは初めて。個人的には大変名誉である。それにしても、今年の大統領選は戦況が猫の目のように変わる。やはり米国内政の地殻変動は本物だと実感する。

 今回もワシントンでの定点観測を続けた。共和党全国委員会の友人はこう言った。


 ●企業に例えれば、共和・民主両党はいずれも破綻寸前の状態のまま、敵対的乗っ取りの危機に直面している。

 ●昨年末、共和党主流派はトランプ氏が消えると考えた。今年1月、トランプ氏は意外に強いと思い始め、4月には共和党が分裂・敗北すると感じ、今ではトランプ氏が本当に勝つかもしれないと恐れ始めた。


 民主党元高官も同調する。


 ●民主党にも党の現状に怒っている不満層は極めて多い。

 ●サンダース氏支持者が選挙当日に投票しなければ、トランプ氏が勝つかもしれない。


 本当にそうなのか。6月4日は一日ホテルで原稿を書いた。27年前に天安門事件が起きた日だ。香港では追悼集会が開かれたが、北京でこの事件は完全に無視された。そう考えていたら、ムハマド・アリ氏が亡くなった。米国メディアはこの大ニュースを繰り返し報じていた。アリ氏といえば米国では伝説のボクサー。1960年代、人種差別に反対し、イスラム教改宗後に良心的兵役拒否でヘビー級王者タイトルを剥奪されたが、その後2度もチャンピオンに返り咲いた。日本では異種格闘技戦で有名だが、米国ではボクシングだけでなく、公民権運動を象徴するイスラム教徒初の国民的ヒーローである。

 そのアリ氏が亡くなる前日、トランプ候補は、「メキシコ系」というだけの理由で、係争中裁判の担当判事を批判し再び物議を醸した。同判事はインディアナ州出身だが、トランプ氏は、「判事はメキシコ人だ。私はメキシコとの間に壁を立てようとしているんだぞ」と言い放った。わが耳を疑うとはこのこと。同発言は反人種差別運動と米司法システムに対する挑戦だ。中国は仕方ないとしても、これが今のアメリカなのか。アリ氏が差別と闘った60年代以降、米国は本当に変わったのか。

 米政治学者ウォルター・ミード氏は米国外交を4つの潮流に分類した。


 ●海洋国家を志向し、対外関与に積極的で、国力の限界にも楽観的なハミルトニアン。

 ●大陸国家を志向し、対外関与は選択的で、国力の限界を自覚するジェファソニアン。

 ●普遍的理念を外交目標として追求するウィルソニアン。

 ●国権発動や国威高揚を重視し、軍事的解決に傾斜するジャクソニアン、がそれだ。


 最後のジャクソンは第7代大統領、正規の教育は受けていない。米英戦争で英雄となったたたき上げの軍人だ。米国の学者が歴代大統領を心理学的に検証した結果、トランプ候補の気性はジャクソン大統領に最も近いという。なるほど、米国の友人が「トランプ大統領」を強く危惧する理由がこれでよく分かった。

 ちなみに、冒頭紹介した1824年の選挙は、4人が立候補したが本選挙では誰も過半数を獲得できず、米国憲法修正第12条に従い、下院が大統領を選んだ唯一の例だ。されば今年の選挙戦が荒れるのも当然なのかもしれない。

同シリーズコラム

同シリーズコラムをもっと見る

宮家 邦彦 その他コラム・メディア掲載/論文・レポート

宮家 邦彦 その他コラム・メディア掲載/論文・レポートをもっと見る

外交・安全保障 その他コラム・メディア掲載/論文・レポート

コラム・論文一覧へもどる