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2015.03.02

プーチン氏の高笑いが聞こえる

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2015年2月26日)に掲載

  • 宮家 邦彦
  • 研究主幹
    宮家 邦彦
  • [研究分野]
    外交・安全保障

 日本中がシリアでの日本人人質事件に注目していた頃、もう一つの大事件が欧州で静かに進行していた。ロシアの巧妙な外交軍事戦術により東欧の現状が再び変更されたのだ。昨年9月の停戦合意にもかかわらず、ウクライナ東南部での戦闘は激化し、親露勢力が支配地域をさらに拡大し始めた。犠牲者が5千人を超えただけではない。ロシアによるクリミア侵攻から1年弱、欧州ではソ連崩壊後最も深刻な力による現状変更の試みが今着実に進んでいる。
 今月12日、ロシアとウクライナ大統領が独仏首脳の仲介で13項目の合意に達した。包括的停戦と重火器の撤去、欧州安保協力機構(OSCE)による停戦監視、選挙・恩赦の実施、捕虜の交換、人道支援物資、外国人兵士の撤退、親露勢力への特権付与など。一見どれももっともらしいが、全てはロシアのプーチン大統領の思惑通りだ。事実関係を振り返ってみよう。
 そもそも「完全な停戦」なる文言がむなしく響く。具体的地名や条件のない曖昧な停戦は機能しない。案の定、停戦発効後も撤退するウクライナ軍が激しい攻撃にさらされた。19日には4カ国首脳が緊急電話会談を行い、「停戦実施の重要性」などで合意した。当然ながら、この合意には何の強制力もない。
 重火器の撤去もむなしい。親露勢力が新たな攻勢をしかけるとなれば、いつでも再投入可能だろう。係争地での選挙実施とて、親露派は完全な自治しか受け入れない。その間に恩赦・捕虜交換があれば、反政府勢力の戦闘力は回復する。人道支援物資を届けても、行政サービスや国境管理を再開しても、紛争は終わらない。ロシアは介入を否定するから外国人兵士は一人も撤退しない。言語使用や司法面で親露勢力に特権を付与するような政治改革など機能するはずがないだろう。
 内外のメディアは停戦の行方ばかり注目するが、問題の本質は戦闘行為が終わるか否かではなく、ロシアの真の意図が何かであるはずだ。筆者はロシア東欧の専門家ではないが、プーチン氏が今回の13項目合意履行に真剣でないことぐらいは分かる。以上の事実関係から推測できるロシアの戦略的意図は次の通りだ。

 ●ウクライナの中立化
 ウクライナはベラルーシとともに元々は母なるロシアの一部だ。にもかかわらず、ソ連崩壊後西欧は欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)を拡大し続け、今やウクライナをのみ込もうとしている。危機感を強めたプーチン氏はウクライナがEUやNATOのメンバーと決してならないよう、秘術を尽くしているはずだ。

 ●紛争の慢性化
 ウクライナの親露派を「セパラティスト(分離独立派)」と呼ぶのは間違いではないか。ロシアはウクライナ分割ではなく、同国全体が政治的にロシアに従属することを望んでいる。東南部を分離独立させれば、残りのウクライナはEU、NATOに加盟するだけだ。だからこそ、プーチン氏は1968年チェコスロバキアに侵攻したような正規軍ではなく、ロシア国籍を隠したスペツナツ(特殊部隊)の隠密作戦による不安定化策によりウクライナの中立化を執拗に画策しているのだ。同国を中立化できれば、次は同様の非正規戦による巧妙な間接介入をグルジアやモルドバなど非NATO諸国、さらにはラトビアなどNATO諸国に対しても使ってくるだろう。欧米は既に分断されている。
 狡猾なロシアの戦術の前に独仏は新たな現状変更を追認するだけだ。今頃プーチン氏は高笑いしているに違いない。それだけではない。ロシアが欧州の大陸で行っていることと中国が東アジア水域でやっていることは、いずれも正規戦に至らない程度の「力による現状変更」に他ならない。欧州でロシアに成功させてはならない理由はここにある。

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