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2014.09.26

中華「合衆国」という視点 米国との意外な類似性

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2014年9月25日)に掲載

  • 宮家 邦彦
  • 研究主幹
    宮家 邦彦
  • [研究分野]
    外交・安全保障

 今回の原稿はホノルルで書いている。たまたま、日本の人気グループが2日続けてコンサートを開くとかで、ワイキキのホテルは日本人女性に占領された感がある。今も現地土産物店の第1外国語は日本語のようだが、耳を凝らせば、あのけたたましい中国語が遠くから聞こえてくる。

 大体が10人程度の団体、それも標準語だけでなく、広東語、上海語などの方言が交じっている。振り返れば、色白長身の北方系から、背が低く浅黒い南方系まで多種多様の中国人観光客が見える。ハワイに来てまで中華世界の多様性を思い知らされるとは想像もしなかった。

 部屋に戻ると、テレビのニュースがスコットランド住民投票の結果を報じていた。案の定、独立は否決されたが、グローバル化が進むこの21世紀に民族独立を主張するスコットランド人とは一体何者なのか。そう考えたら、昔ハワイが独立王国だったことを思い出した。ハワイ人は独立を志向するだろうか。ワシントンはハワイの住民投票を認めるだろうか。そもそも今、純粋のハワイ人がどれだけ残っているのだろう。

 水平線に沈む夕日を見ながら、民族とは何かという重い命題を考えた。今のハワイには白人系、アジア系、アフリカ系などあらゆる人種が混在する。アメリカンが民族ならば、スコットランド人とは何者なのか。それでは中華も、漢族も、すべて民族なのか。せっかく休暇でハワイに来たのに、頭が混乱してきた。

 「宮家さん、中華とは場所ですよ。一度中原を支配すれば、遊牧民だろうが、狩猟民だろうが、誰でも中華になれる。一度中華の一部になれば、もう出身地には戻れないし、そもそも戻りたくありません。中華はその内側が素晴らしいのであって、外側はゴミだからです」

 先日、中国の非漢族の友人がこう語っていたのをふと思い出した。なるほど、「中華」の本質は人種でも、文化でもない。中華とは、黄河流域の中原において、古代漢族文化を基礎に、多数の周辺民族の文化が何度も融け合いながら発展してきた、元来雑多な人々の行動原理と生活様式が混ざり合ったものなのだ。そもそも「漢族」とは人種的概念ですらないのだろう。

 友人の言葉に注釈を加えるとすれば「中華」とは中原の定住農耕民だった漢族の土地に、周辺の遊牧民・狩猟民が侵入し、支配し、新たな文化的要素を加えながら、現地に同化していく共通の「場所」だったと言いたいのだろう。されば中国人のいう「中華民族」とは米国のいう「アメリカンズ」の「人種の坩堝(るつぼ)」に限りなく近い。中国は「アメリカ合衆国」に似た「中華合衆国」ではなかろうか。

 そんなことを考えながら、再びワイキキのショッピング街に戻ったら、また中国人観光客の団体に遭遇した。この人種の坩堝の国アメリカの、さらに東西が融合したハワイで出会った中国人たちには、スコットランド人のような偏狭な民族意識はなさそうだ。

 そうであれば、米国と中国は、どちらも「寛容な人種の坩堝」という点で、意外に似ているのではないか。もちろん、米国の寛容主義のルーツはキリスト教原理主義者・清教徒であり、彼らが逃れてきた欧州カトリックのルーツは中東の一神教だ。これに対し、中国の寛容主義は、一神教的、人工的な平等観ではなく、むしろ中国の平坦な大地という自然環境が育んだ偶然の産物である。

 それにしても、この米中の類似性は無視できない。こうした寛容さ・鷹揚(おうよう)さに比べれば、スコットランド民族主義の厳格さ、偏狭さは際立っている。当然ながら、日本は米中よりも、スコットランドに近いだろう。今回ホノルルに来て図らずも学んだことは、このような日中・日米間の民族意識の微妙な違いである。

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