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2018.07.26

人と人の距離縮まる地球: ICT発達示したW杯

電気新聞「グローバルアイ」2018年7月24日掲載

  • 栗原 潤
  • 研究主幹
    栗原 潤
  • [研究分野]
    米国情報・ネットワーク

 世界全体が興奮と感動に包まれ、同時に睡眠不足に苦しめられた4年に1度のFIFAワールドカップが終わった。今回ほど情報通信技術(ICT)の発達と普及を実感した事は過去になかった。ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)などの電子技術による審判システムに加え、全試合がスマートフォンで観戦でき、情報化を実感したのである。しかも、同時期にタイのサッカー少年達を洞窟から救出する情報が絶えず世界中に流れて、まさに「ICTと共に地球は縮んで一つとなった事」を我々は体感したのだ。

 こうした事態、すなわちICTの発達により世界中の人々が直接的、それも目に見える形で一体感を共有する現代社会を予見したのが哲学者のヤスパースだ。

 彼は思想家ホッブスの「万人の万人に対する闘争」を模し、「万人の万人によるコンタクト」として次のように語る--毎日の新聞報道、旅行、映画やラジオ・テレビ放送による大量の場面の描出と再現。かくして時空間の技術的克服は万民の万民とのコンタクト(接触)を可能にした。遠くに存在するもの、秘密のもの、驚くべきものは何一つ無い。大事件と映るものに対して万民が時空を超えて「立ち会う事」ができる。統治者に関してさえ、人々は毎日に出会っているかのようになったのだ、と。

 しかし、はたして我々はICTを通じ、直接的に、しかも「見える形」で万事に関し一体感を共有しているのだろうか。

 こうした疑問を筆者に示唆してくれたのは、誰あろう米国大統領トランプ氏だ。彼は「ディール(取引)」と称して万事「見える形」で直接的な行動を起こしている。パリ協定離脱、TPP離脱など、大統領は人々が理解しやすいように万事を「見える形」で大胆に判断している。たしかに政治家や経営者はリーダーシップを発揮するために思想や行動を戦略的に「見える形」にしなくてはならない。

 ところが、彼らの思想や行動の効果の全てが必ずしも、直ちに「見える形」で出現するとは限らない事を銘記しなくてはならない。このメカニズムを経済学の始祖アダム・スミスは18世紀後半、『諸国民の富』の中で「見えざる手」と呼んだ。またフランスの経済学者バスティアは、19世紀半ばに「見えない形」のコストとして機会費用の概念を小論『見える物と見えない物』の中で紹介し、「見える形」のコストしか考慮しない経済学者を悪い学者と考え、「見えない形」のコストをも考慮する経済学者を優秀な学者とみなした。

 もちろん、ICTの発達に助けを借りて様々な現象が「見える形」になった事は、冒頭のワールドカップの例が示す通り、喜ぶべき事である。ただ留意すべきは万事が見えるわけではないという点である。たとえいかにICTが発達しても、目に見えない形の悪質なサイバー攻撃は完全には消滅しないのである。

 フランスの作家サン=テグジュペリは『星の王子さま』の中で「肝心なものは目に見えないんだよ」と語った。環境問題に重要な清潔で新鮮な大気も放射能も目に見えない。また人生の中で最も大切な愛情も信頼も目に見えない事を我々は銘記しなくてはならない。

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