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2015.09.02

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第77号(2015年9月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない-筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

  • 栗原 潤
  • 研究主幹
    栗原 潤
  • [研究分野]
    米国情報・ネットワーク

 8月中旬、ジャカルタで、ハーバード大学が米国政府及びインドネシア政府と共催した会議(Asia Public Policy Forum (APPF))に出席した。会議後、ホテルで英国BBCが伝える武道館での戦没者追悼式の同時中継、そしてロンドンの聖マーティン・イン・ザ・フィールズ教会で女王や首相が臨席した戦没者追悼式の様子を観つつ、友人達と当時の国際関係を語り合った。ジャカルタは大戦中、第十六軍司令官の今村均将軍が、戦後も高い評価を受けた民主的な軍政を敷いた土地。その地で、優れた友人達と「敗戦」を冷静に語る機会に恵まれ、感慨深いものがあり、筆者は東京帝国大学出身の優れた戦没学生(中村徳郎)が遺した言葉を思い出していた。

 私たちはともすれば井の中の蛙になりやすい。安易な自己礼讚や自己満足に耽ってしかも自ら識らないで得々としている場合がないでもない。日本国の美点長所を礼讚し、数々の美談に滂沱(ボウダ)たる涙を濺(そそ)いで感激するのももちろん当然なことではあるが、単にそれだけに終わってしまってはいけない。...真に誇り得るものは何であるか。...よく省みなくてはならない。安っぽい感傷やブリキ細工のような独善を排しなければならない。...実力のない空威張は総て排さなければならない。しかもその実力は並大抵の努力で得られるものではない。...自惚れた国で興隆した国はない。

 また、米国がドイツ敗戦後に開始した短波放送(日本の早期降伏を勧告するZacharias broadcasts)についても、日本の対応を中心に語り合った--「情報」の観点から日本の「敗戦」を内省的に考える時、その教訓は多い。

 ニミッツ提督は日本との縁が深い--①海兵卒業後、アジア艦隊旗艦(the Ohio)に乗艦。1905年10月、東京での日本海海戦の祝勝園遊会で東郷提督と言葉を交わし、②1934年6月、東郷提督の国葬の時、同艦隊旗艦(the Augusta)の艦長として東京を訪問。同年夏、中国在住の妻子を避暑のため長崎の雲仙に住まわせ、また③対日戦争計画(War Plan Orange)も熟知していた。④"Pearl Harbor"後は在日経験が豊富で山本五十六提督と面識を持つエドウィン・レイトン中佐を重用。⑤同中佐は、江田島の海兵52期生が練習艦隊で訪米した1925年1月、彼等の流暢な英語・仏語に驚き、日本専門の情報将校を志したという。翻って日本は情報に鈍く、⑥山本五十六・山口多聞両提督を除いて、宇垣参謀長や源田航空参謀等幹部は在米経験を欠き、⑦"Midway"直前に実施した戦艦「大和」での図上演習では、ミッドウェー島攻略成功の次の日から始まる有様。"過信"する上官の下では当然索敵も粗雑となった。⑧"Midway"での大勝で有頂天になった或る米軍将校が暗号解読の秘密を洩らし、それが6月7日付Chicago Tribune紙の第一面に載ったが、在外公館を通じ取得可能なこの重大情報に対し日本側は誰一人として気付かず、また⑨"Midway"大敗の記録「戦闘詳報」の作成を担当した吉岡忠一少佐は、真相を記すことを許されず、⑩ハーバード留学組の"秀才"(?)永野修身軍令部総長は日本国民に伝えるどころか、天皇陛下にさえ真実を奏上しなかった。

 こうした史実を語り合い、また彼等の質問--例えば「東條英機首相は戦前訪米の経験が無かったのか?」「当時の首脳の国際情勢を判断する能力は?」--に対し、筆者の乏しい知識を伝えたと同時に、勉強不足を痛感している。

 東條首相は①若き陸軍将校時代、1919年からスイス・ドイツに滞在し、22年11月、大西洋を渡り米国経由で帰国したが、英語が出来ない彼は米国で見聞を広げる事は出来ず、佐藤尚武駐ソ大使は東條首相の対米観を「無準備で試験に出た学生の答案のようなもので、馬鹿馬鹿しい素人論」と評した。②"Pearl Harbor"直前、小野寺信や光延東洋等の優れた陸海軍将校が的確な情報を本国に送り続け、また陸軍大佐の岩畔豪雄と新庄健吉が極めて正確な米国の国力調査を作成し、近衛首相等の指導者達に報告したが、彼等は聞く耳を持たなかった。③東條首相は、陸軍地方幼年学校時代の幼馴染みでドイツ語が自慢の駐独大使、大島浩陸軍中将を通じドイツ情報を得ていた。ただ④同大使のドイツ語は、伝統を誇るプロイセン将校が話す教養溢れる独語ではないため、エーリッヒ・フォン・マンシュタインやハインツ・グデーリアン等の知的な将軍から相手にされず、大島大使はただヒトラー総統やリッベントロップ外相の言葉を鵜呑みにし、ドイツの勝利を長年疑わなかった。

 加えて真珠湾攻撃以前の状況--例えば台児荘やノモンハン--についても、我々は謙虚に学ぶべきと考えている。


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「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第77号(2015年9月)PDF:312.4 KB

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