本文へスキップ

2014.11.07

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第67号(2014年11月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない-筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

  • 栗原 潤
  • 研究主幹
    栗原 潤
  • [研究分野]
    米国情報・ネットワーク

 周知の通り、中国市場を巡る各国企業の競争は熾烈だ。中国を含めた主要国が景気の先行きを警戒するなか、李克強首相は先月初旬の訪独時、2015年を"中德创新合作年(das „Deutsch-Chinesische Jahr der Innovationskooperation")"と称し、両国関係の深化を通じた成長策を発表している(例えば、独Frankfurter Allgemeine Zeitung紙10月10日付記事„Deutsche-Chinesischer Riesengipfel Viele neue Milliarden-Deals"や下の2を参照)。また、本年1~9月累計の中国新車販売台数を見ると、独系企業のシェアが21%と日系企業の15%を上回っており、しかもその差が更に開く事態が懸念されている。加えて日系企業は米系企業(同13%)からの厳しい追撃も受けている状況だ。

 小誌前号で触れた中国出張では、中国人のみならず、中国に駐在する欧米諸国の研究者やビジネスマンと語り合う機会に恵まれた。欧米の多国籍企業は、中国市場を梃子(てこ)として企業体質の強化を企図しており、優秀な人材を中国に送り込んでいる。かくして筆者は"内なるグローバル化"を中国国内で実感すると共に、個人的に「地球儀を俯瞰する(from a panoramic perspective of the terrestrial globe; 俯瞰地球仪)」意見交換を満喫した訳である。彼等は中国語の日常会話に関して筆者より上手だが、中国古典に関しては筆者に軍配が上がる。このため、米中戦略経済対話の時(本年6月)に、習近平主席が行なった演説("中美应尊重彼此对发展道路选择")に出て来る中国特有の表現を彼等に説明し--『西遊記』の一節、"天高任鸟飞, 海阔凭鱼跃"や『老子』「第64章」の一節、"合抱之木, 生于毫末: 九层之台, 起于累土"--、親交を深めた。

 中国駐在の欧米人も問題が無い訳ではない。中国人と接する際の彼等の苦労話は大変興味深い--現在の汚職対策に関しても理解出来ないことが多いという。筆者は中国の伝統的な考え方(例えば、"升官發財"、即ち科挙制の下、髙官になれば自ずと財産形成が出来る)を説明しつつ、中国の汚職に関する筆者の知識を伝えた次第だ。彼等が心配そうな顔で、「東日本大震災で日本の民度が高いのは分ったけれど、日本政府の腐敗は?」と聞いたので、幕末に旅行したハインリッヒ・シュリーマンが入国時の日本の官吏に関する記録に触れた:

 "検査の為に荷物を解くのは大変で出来れば免除してもらいたいと、官吏2人にそれぞれ一分(2.5フラン)出した。ところが、何と彼等は自分の胸を叩き"ニッポンムスコ"と言い、それを拒んだ。日本男児たるもの、心付けにつられ義務をないがしろにするのは品格にもとる、と言うのだ(d'ouvrir les bagages, afin qu'ils les examinassent, et comme c'est un travail très-pénible, j'offris à chacun d'eux un Itzebou (deux francs et demi), s'ils voulaient m'en dispenser; mais à mon étonnement ils refusèrent d'accepter en se touchant la poitrine et en disant: « Nipon Musko », ce qui signifiait qu'un japonais juge au-dessous de sa dignité d'homme de manquer à son devoir moyennant une gratification.)" (H. Schliemann, La Chine et le Japon au temps présent, 1867).

と語ると、彼等は目を丸くした。そして「では歴史的に日本の官吏は廉潔なのか?」と聞くので「どの時代も結局は"ヒト"次第だ」と筆者は答えた。そして最近の中央政府・地方自治体の金銭問題に言及すると同時に『土佐日記』の中で廉潔な紀貫之が指摘した、一見すると普遍的な政治問題を紹介した--「平安時代、地方の国司を務める貴族は任地で暴利を貪る通弊があった。都を離れて任地に向う時は、未だ富を蓄えていない彼等を誰も見送りはしない。しかし都に戻る時には任地で富を蓄えたと思われて、大勢の人から歓待される。また任地では、国司を務めている間は地元の人々が"甘い汁"を求めて近寄って来るが、任地を離れる時には殆どの人は薄情にも見送りにも来ない」、と。


→全文を読む

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第67号(2014年11月)PDF:378.7 KB

同シリーズコラム

同シリーズコラムをもっと見る

栗原 潤 その他コラム・メディア掲載/論文・レポート

栗原 潤 その他コラム・メディア掲載/論文・レポートをもっと見る

海外情報・ネットワーク その他コラム・メディア掲載/論文・レポート

コラム・論文一覧へもどる