本文へスキップ

2012.10.05

改革・開放後に驚異の急成長 中国経済の長期展望と日中経済の未来

ダイヤモンドオンラインに掲載(2012年9月27日付)

  • 瀬口 清之
  • 研究主幹
    瀬口 清之
  • [研究分野]
    中国経済・日米中関係

1978年の改革・開放路線以降、中国経済は奇跡的な成長を遂げてきた。その発展経路を振り返り、同国が中所得国の罠に陥ることなく先進国入りするための課題は何か、緊張感高まる中で日中はどのような経済関係を構築していくべきかを考える。


改革開放以後の中国経済の変化

(1)市場メカニズムの導入

 1978年12月に開催された第11期三中全会(中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議) において、鄧小平の指導の下、経済建設の重視と改革・開放政策の採用に踏み切るという歴史的決定が行われた。

 それまで中国では、個人や企業の私有財産を認めず、国家が生産・販売・分配等の経済活動を直接コントロールしていたが、その歴史的決定を機に統制経済体制を改め、私有制と市場メカニズムを徐々に導入し始めた。1980年代前半、改革は農業分野から着手された。以前は個人の努力や貢献の大きさに関係なく、全員同じ水準に給与等が決められていたため、個人が努力をするインセンティブが薄く、生産性は停滞を続けた。
 ところが、私有制の導入後は、個人の生産・販売努力の成果としての収入増加が認められたため、個人のインセンティブが格段に高まり、生産性は大幅に改善した。農業分野での成功を踏まえて、80年代半ば以降はこの改革が企業経営にも導入され、やはり生産性の大幅な改善をもたらした。こうして1949年の建国以後、長期にわたって停滞を続けていた中国経済が、長い眠りから目を覚ました。


(2)輸出・投資主導型経済の時代

 1989年6月に天安門事件が起きた後、保守派の台頭を背景に中国では一時的に統制経済を復活させる動きが強まり、経済成長が停滞した。国家経済のパフォーマンスの悪化から見て、保守化回帰のマイナス効果は明らかだったが、天安門事件直後の中国では、経済政策運営よりも国家統治の理念が重視された。

 しかし、1992年1月、鄧小平が「南巡講話」によって改革・開放の重要性を強調。市場経済化の流れを再び呼び戻し、以後中国経済は現在に至るまで、力強い経済成長を続けることとなった。

 私有制、市場メカニズムの導入を土台とする改革・開放政策は、生産性の大幅な向上を通じて中国経済の高度成長を支えた。しかし、1990年代の中国経済は、内需の拡大とともに輸入が増加する一方、輸出競争力は脆弱であった。このため、貿易収支の黒字を維持するためには、輸入が増えすぎないように内需の拡大を抑制せざるを得ない状況が続いた。

 この成長制約から抜け出すために、中国政府は輸出競争力の強化を目指し、沿海部を中心に輸出競争力の高い外国企業の誘致に力を注いだ。そのために外国企業を誘致する経済開発区の建設、港湾整備、交通運輸インフラ建設等にリソースを集中した。その成果として、中国の安価な労働力を武器に、低コストで生産・輸出を行う外国企業の誘致に成功し、中国は世界の工場へと変貌を遂げた。2001年12月のWTO加盟がさらに拍車をかけ、輸出投資主導型の高度経済成長を実現した。

 2003年から2007年まで、中国は5年連続の2ケタ成長を実現した。以前の中国であれば、これほど内需が拡大を続ければ、貿易収支の黒字が縮小し、内需抑制政策に転じざるを得なかったはずである。しかし、むしろ2005年以降貿易黒字は急増し、2008年には2960億ドルという未曽有の黒字額を実現した。このように輸出競争力の強化を確認できた2005年以降、中国政府は従来の輸出投資主導型成長モデルから、より安定的な内需主導型モデルへの構造転換を推進する方向へと大きく舵を切った。


(3)内需主導型経済への転換

 2008年9月以降、リーマンショックを機に世界経済は長期停滞に陥った。その中で中国も輸出の急減により成長率が急落し、2009年第1四半期には6.6%にまで低下した。しかし、同年の第4四半期には11.4%と2ケタ成長軌道に復し、2010年第1四半期には12%に達した。
 経済大国の中で唯一、短期間のうちにリーマンショックを克服した中国は、2010年にはGDPの規模で日本を抜いて世界第2位の経済大国となり、世界経済をリードする存在となった。改革・開放政策の開始から約30年という速さで、ここまで大きな成功を実現するとは、鄧小平でも予想できていなかったのではないだろうか。
 リーマンショック後の世界経済の停滞の下では、中国は従来の輸出依存体質から脱却する以外、経済の安定を保つ方法がなくなった。日米欧諸国向け輸出の急減という深刻な外的ショックに対する政策対応として、成長率確保のための内需拡大策の採用を余儀なくされた。その結果として、急速に内需主導型経済への転換が進んだ。
 成長モデルへの転換が急速であったにもかかわらず、比較的うまく移行できたのは、すでに2005年以降、内需主導型モデルへの転換を図りつつあったため、政策運営の方向自体は変化がなかったことが、大きな要因だったと考えられる。
 1990年代以降の中国の経済成長モデルを大きく3段階に分けると、2004年以前の輸出投資主導型モデルの時代、2005年から2009年までの内需主導型モデルへの転換期、そして2010年以降の内需主導型成長モデルの時代に大別できる。2004年以前の中国経済と2010年以降の中国経済とでは、まるで別の国であるかのように経済構造が大きく異なる。
 また、2010年の中国のドルベースの名目GDPは2004年の2.5倍に拡大しており、構造の面でも規模の面でも、全く違う経済へと変貌を遂げた。この間の変化があまりに大きく急速だったため、2010年以降の中国ビジネス戦略を考える上で、2004年以前の中国での様々な経験がほとんど役に立たなくなってしまった。


日中両国間の経済関係の変化


(1)経済援助の時代

 以上のような中国経済の大きな変化とともに、日中両国間の経済関係も大きく変貌を遂げてきている。1980年代から1990年代の半ばまでの間、中国政府は統制経済体制から市場経済体制への移行を進めるにあたって、日本企業の技術、経済制度、経済政策運営の枠組みなど多くのことを日本から学んだ。
 同時に日本政府も巨額の有償・無償の経済援助を行った。良好な状態が続いた両国関係がそうした経済援助の追い風となっていた。官民挙げてのこうした中国支援の背景には、第2次世界大戦中に日本が中国を侵略し、多くの中国人に多大の損害と苦痛を与えたことに対する贖罪意識が存在していた。


(2)生産拠点としての中国

 その後、中国の輸出競争力強化策が軌道に乗り始めると、日中関係は援助の関係から対等な経済関係へと変化していった。1990年代半ば以降、日中関係が急速に冷え込み、とくに小泉内閣時代は関係が悪化した。
 それにもかかわらず、ちょうど小泉内閣時代の2001~05年は、中国の安い労働力を活用して、中国を生産拠点とすることを狙いとした日本企業の対中直接投資が急拡大した。中国の中央地方政府も日本企業の進出を、欧米諸国の企業同様大いに歓迎し、「政冷経熱」の時代と呼ばれた。


(3)市場としての中国

 中国政府は2005年以降、内需主導型成長モデルへの転換を図るため、人民元切上げ、賃金引上げ、輸出優遇税制の大幅縮小といった政策を実施した。これらはすべて加工貿易型企業にとってのコストアップ要因となったため、日本を始め、欧米企業の対中直接投資は減少した。そこにリーマンショックが起きたため、さらに下押しされた。
 しかし、リーマンショックから約1年で、2ケタ成長軌道に復した中国には新たな魅力が生まれた。それは生産拠点としての魅力ではなく、急速に拡大する巨大市場としての魅力である。2005年以降の構造転換の中で賃金は急速に上昇し、低コスト賃金の魅力は後退した。その一方で、賃金の上昇は所得水準の上昇をもたらし、中国の消費者の購買力を急速に高めた。中国の魅力は工場から市場へと変わったのである。


(4)消費者の所得増大により日本企業の顧客層が急拡大

 中国では一般に、一人当たりGDPが1万ドルに達すると、その地域の消費者の高付加価値化志向に火がつくと言われる。そのあたりから日本企業の製品・サービスに対する評価も変化する。一人当たりGDPが数千ドルの地域では一般的に、「日本のものは質は良いが値段が高い」と言われて、消費者は買おうとしない。
 ところが、それが1万ドルに達すると、「日本のものはちょっと高いが質がいい」と言って買うようになる。中国の主要都市の中で一人当たりGDPが一番最初に1万ドルに達したのは、蘇州、無錫、深圳の3都市で、2007年のことだった。その後2008年には上海、広州、2009年には北京、2010年には天津など、主要都市が続々と1万ドルクラブに仲間入りした。
 それとともに日本企業にとっての顧客層が急速に拡大し、中国の市場としての魅力はますます高まってきている。多くの日本企業はそこに注目し、2010年以降再び対中投資ブームが始まった。最近の景気減速にもかかわらず、その勢いには衰えが見られていない。


中国経済の長期展望と課題


(1)成長率は徐々に低下

 中国は1979年から2010年まで31年間の年平均実質成長率が9.9%と、長期にわたり驚異的な高度成長を実現した。しかし、今後はこれまでのような高い成長率が続くことは考えにくい。これまで中国の高度成長を支えてきた都市化とインフラ建設という2つのエンジンが、徐々にその勢いを低下させていくためである。
 今後の実質成長率に関する大づかみのイメージとしては、2011~15年が8%前後、16~20年が6%台、20~25年5%前後と徐々に低下していき、25~30年には4%前後と高度成長期が終焉を迎え、安定成長期に入るというのが私の期待を込めた長期展望である。このシナリオが実現すれば、2030年頃には中国の一人当たりGDPが約1万5000ドルに達し、ほぼ先進国の仲間入りを果たすことになる可能性が高い。

 

(2)中国が直面する課題=ミドルインカムトラップをいかに克服するか

 このように成長率が低下する中、中国経済が財政面、国際収支面、金融面等で健全性を保ちながら安定的に推移していくには、多くの課題を克服する必要がある。その課題を克服できない場合には中国経済は失速し、2030年頃に先進国に到達することが難しくなる。
 低所得国が中所得国に達した後、先進国の仲間入りに成功する例は少ない。これまで成功したのは、日本、韓国、台湾、シンガポールの4ヵ国・地域のみである。中所得国から先進国へ移行する際のハードルは、「ミドルインカムトラップ(中所得国の罠)」と呼ばれる。中国はいま、このミドルインカムトラップの克服を重視している。
 ミドルインカムトラップを克服するためには、国内市場の安定的な発展が必要である。その鍵を握るのは、中間所得層の健全な拡大に支えられた消費の拡大だ。中間層の拡大には、高所得層を対象とした所得税・相続税・贈与税の税率の引き上げ、土地保有税の適正化など所得再分配政策による所得格差の縮小が必要である。
 しかし、一般にそうした政策に対しては富裕層、既得権益層の抵抗が極めて強い。ミドルインカムトラップを克服できない国が多いのも、この問題を解決できなかったことが大きな要因の一つであるが、中国においてもこれが最大の課題である。
 このほかにも、中国政府はミドルインカムトラップを克服するうえで、次のような難題に直面している。
 第1に、国有企業の民営化である。日本でもかつて、国鉄、電電、郵便局等政府関係企業の非効率な経営や、健全な市場競争を阻害することなどが問題視され、長い時間と多大な労力を費やしてそれらの民営化に取り組んだ。中国の国有企業についても同様の問題が指摘されているが、その規模と分野は日本をはるかに上回っており、民営化の実現は日本以上に大きな困難を伴うと見られている。
 第2に、環境保護規制の強化である。現在の中国の環境規制は先進国に比べて甘い。しかし、中国国民の環境保護意識は着実に高まっており、政府としてもより厳しい政策の導入を迫られている。一方、環境規制の強化は多くの企業にとってコスト上昇につながる。このため、今後、政府は環境保護と企業業績のバランスに配慮しながら、環境保護規制強化を進めていかなければならない。
 第3に、官僚の権力乱用、汚職腐敗の是正である。この問題に対する中国の一般庶民の不満は非常に強い。地方で比較的小規模な反政府暴動が起きる場合の多くは、この問題が最大の要因となっている。これを防ぐには行政関連情報の透明性を高め、一般国民やメディアによる政府機関に対する監視を強化することが必要であるが、政府機関がこれに強く抵抗するのは明らかである。
 第4に、報道規制の緩和と言論の自由化である。中国政府は社会秩序維持のために報道および言論を統制し、政府にとって不都合な情報の拡散を抑制している。しかし、最近はミニブログ等携帯電話やPCを利用する情報通信手段が発達し、メディア以外の情報源から様々な情報が容易に入手できるようになっている。このため、政府のメディア規制を通じた情報コントロールが難しくなっており、政府の情報統制が厳しい批判にさらされないよう、ある程度報道統制を緩和せざるを得ない場合が増えてきている。

 以上のような問題が相互に複雑に絡み合って国民の政府に対する不満が高まっている。これらの問題を的確に解決し、ミドルインカムトラップを克服していくことが中国国民の政府に対する信頼維持のうえで非常に重要である。政府が信頼を失えば、政権基盤が不安定化し、政策運営に支障が生じることは言うまでもない。
 本来であれば、胡錦濤政権時代にこうした問題の一部が解決されているべきであったが、結局、既得権益層の抵抗に抗しきれず、ほとんどの課題が先送りされ、次期政権に押し付けられる形となっている。次期政権が直面する課題は重く、その克服は非常に困難である。


(3)日中Win-Win 関係構築に向けて

 日中経済関係が今後ますます緊密化していくことを考えれば、中国の課題克服は日本にとっても重大な意味を持つ。中国が何とかミドルインカムトラップを克服できるよう、日本も官民力を合わせて、中国経済の後押しをしていくことが望ましい。そのためには日中関係を改善し、摩擦を最小限に抑制することが大前提である。
 しかし、足許の状況は、尖閣諸島国有化に強く反発する中国国民が各地で反日デモ・暴動を繰り返し、日中関係は非常に厳しい状況に直面している。当面はこの状況が沈静化するまで前向きの政策を実施することは難しい。両国一般大衆の間に理性的ではないナショナリズム高揚の火種が存在する以上、今後も領土問題、歴史問題等が発端となって、今回のような深刻な事態が生じる可能性は覚悟しておくことが必要である。しかし、それでも日中両国の政府、大多数の企業、そして冷静に日中関係の将来を考える個人は日中関係の改善と日中両国の協調発展を強く望んでいるという事実は変わらない。これは日本側のみならず、中国側でも全く同じである。
 こうした時にこそ、国境を越えて両国においてその思いを共有している政府、企業、個人が相互理解と意思疎通の絆をより強固なものとしていく努力が必要である。幸いなことに、今回は政府間の意思疎通のパイプはきちんと維持されている。少なくとも私の知りうる範囲では企業間、個人間のコミュニケーションもしっかりと継続できている。
 その意味で今回、日中関係は着実に成熟していることが確認できたと言うことができる。今後も隣接する両大国間には様々な摩擦が生じることは不可避であるが、どんな状況下でも両国の政府・企業・個人等の間で相互理解と意思疎通の絆をしっかりと保ち続けることが最も重要である。それが確保されてさえいれば、事態が沈静化するとともに、日中関係の改善に向けての歩みが再び始まる。

 今後、日中関係が安定を回復していく状況を見極めながら、両国経済が円滑に協調発展できるよう、交通運輸インフラの整備、知的財産権の保護、規制・税制の改善等基盤整備を進めていくことが重要である。そうした基盤整備の上に、日本企業が中国企業と協力して中国国内市場を開拓するとともに、中国が技術力の向上を実現して健全な経済発展を長期的に持続することができれば、両国はWin-Win関係を実現することができる。
 その努力と成果の共有を通じて両国政府、企業、個人等の相互理解が一段と深まり、両国関係はさらに成熟し、安定化していく。そうした将来の日中関係のあるべき姿を見据えて、両国が着実に共創関係を構築していくことを強く期待したい。



瀬口 清之 その他コラム・メディア掲載/論文・レポート

瀬口 清之 その他コラム・メディア掲載/論文・レポートをもっと見る

海外情報・ネットワーク その他コラム・メディア掲載/論文・レポート

コラム・論文一覧へもどる