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2011.10.07

日本を出ると感じる「言葉」の壁

電気新聞「グローバルアイ」2011年10月5日掲載

  • 栗原 潤
  • 研究主幹
    栗原 潤
  • [研究分野]
    米国情報・ネットワーク

 諸兄姉がこの文章を読む頃には帰国しているが、筆者はこの原稿を海外出張先(シンガポール・香港)で書いている。経験豊かな先輩を前にして僭越ながら、グローバル時代を迎え世界に飛び出す機会を多く持つ若人を対象に、参考になることを願いつつ筆者の体験を記してみたい。
 情報通信技術の発達が電子メールとインターネット電話を普及させた結果、国際会議は始まる前に議論の大半がし尽くされるようになった。が、最後の詰めだけはフェイス・トゥー・フェイスでないと収まらないのが世の常だ。今回も出張に出る前に①話の内容、②今後の方向性、③新しい仲間作り等を、友人と十分議論し尽くしていた。その方が直接会った時に時間を効率的に使えるからだ。まさしく「シンク・グローバリィ、ドリンク・ローカリィ(世界視野で考え、友人と杯を交す)」こそがグローバル時代の鉄則なのだ。

 国際会議で重要なのは何といっても「言葉」だ。世界から集まった友人と今回も言葉について語り合った。
 英国の友人が「なぜ太陽はフランスでは男性でドイツでは女性なのか?」と笑った。確かに欧州大陸の言語には名詞に性の区別がある。筆者は「月はフランスでは女性でドイツでは男性だが、日本では、お日さま、お月さまと、太陽と月を性別で意識しない。男女平等だ」と語った。また中国の友人は筆者をからかった--「君の希望は、失望に聞こえるよ、今の日本と同じだ」、と。確かにカタカナで発音方法を書くと、中国語の希望と失望はともに「シーワン」だ。かくして住み慣れた日本を一歩出た途端、複雑怪奇な「言葉の壁」にぶつかる。
 筆者は外国語を操る能力を次の6段階に分けている--①旅行時に困らない初歩的段階、②日常的な用事をこなすことが出来る段階、③単純な仕事のやりとりが出来る段階、④特定分野において高度な英文が読めるが、一対一の会話しか出来ず、複数の人々が話し出すと会話に入れない段階、⑤特定分野において高度な英語で話し、徹底的に議論出来る段階、⑥知的な英語で講演し議論が出来る段階。①の段階に関しては教育水準の高い日本人は世界で一番英語を上手に使える人間だ、と考えている。が、ハーバードを訪れる日本人は、大半が④の段階までで、⑤と⑥の段階の人となると極めて少なくなる。こう考えると、今の日本に必要な語学教育は、小学校レベルの話ではないことは明白であろう。

 駐日米国大使をかつて務めたハーバードのライシャワー教授は、次のように語った--「言語は国際関係にとって基本的道具である。その際に日本語が主な話題の1つになる。日本語は、他の如何なる日本文化の特徴よりも明確に日本人の特質を規定しているだからだ。が、対外関係においては日本語が大問題となる。...外国との国際交渉の場において、言葉の壁がどれほど大きいかについて本当に理解している人は、日本の中にも、また外にもほとんどいない」、と。
 福島の原子力事故を見て分る通り、我が国は対外的な「説明責任」を世界から問われている。数学や物理学、そしてスポーツや音楽の場合と違い、「内容」だけで勝負をするということは、政治経済分野の国際会議ではほとんどありえない。日本人に対する世界的評価、すなわち礼儀正さ、きめ細かさ、冷静さを一層正確なものにするためにも、品格のある外国語での対外発信が重要だ。この意味で、グローバル時代を迎えた日本に政治経済だけでなく、外国語教育も再考を求められている。

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