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2016.12.28

国会承認後にTPPはどうなるのか?-米国が抜けても今のままで問題ない。米国抜きのTPPは米国を取り込むための装置だ-

WEBRONZA に掲載(2016年12月14日付)

トランプ氏の翻意はありえない

 トランプ次期米大統領の離脱宣言で、環太平洋経済連携協定(TPP)の発効は困難となった。安倍総理は国会承認を材料としてトランプ氏を説得すると言うのだが、それが不可能なことは、トランプ氏の大統領選挙中の発言や最近の行動から明らかだ。

 トランプ氏を大統領に押し上げたのは、〝雇用〟である。大統領選挙中に主張した、メキシコ国境に壁を作ると言う移民対策も、TPP離脱やNAFTA(北米自由貿易協定)の再交渉という貿易政策の見直しも、雇用の確保・増進のためである。

 当選後は、TPP離脱表明だけではなく、メキシコへの工場移転を取りやめた企業を称賛したり、環境保護庁を訴えたりした環境規制反対派を同庁の長官に任命して、企業活動をしばり雇用を減少させている(job-killing)環境規制を見直そうとしたりしている。これらも、雇用の確保のためである。

 安倍総理や駐米日本大使がいかに理を尽くしてTPPの経済的・地政学的な重要性を訴えたとしても、トランプ氏は聞く耳を持たない。それを聞くようだと、トランプ氏は支持者を裏切り、自己の支持基盤を破壊することになる。



理性的な説得や対話は通じない-これまでと違うアメリカ

 ビジネスマンなのでトランプ氏が考えを変えるはずだといまだに言う日本の経済人がいるが、今、アメリカで何が起きているのかをわかっていないようである。

 大統領選でバニー・サンダースやトランプ氏の反自由貿易の主張が多数のアメリカ人の賛同を得た。これに、私の恩師でもある著名な国際経済学者のアラン・ディアドルフ・ミシガン大学教授は、大衆は我々のような専門家の意見を聞かなくなっていると嘆いていた。人種差別問題も含め、理性的な説得や対話が通じない社会になっているのである。

 大統領選挙中、ヒラリー・ クリントン氏については、国務長官在任中に私用メールを使ったことが大きな問題となった。これに対しトランプ氏は、数々の女性問題のスキャンダル、納税問題、大統領選挙の不正などの根拠のない事実に基づく暴言など、通常の政治家なら直ちに政治生命を絶たれるような事件や失言をいくつも起こしているのに、激しい批判を受けながらも、多くの人の支持を集めている。

 いくつもの意味で、アメリカ合衆国は、"the United States of America"ではなく、"the Divided States of America"になっている。

 トランプ氏については、有名な政治アナリストのエイミー・ウォルターさえ、非伝統的な(unconventional)大統領の非伝統的な主張なので、トランプ氏が何をするのかまったくわからないとさじを投げている。

 ボーイングが大統領専用機に40億ドル(4600億円)も払わそうとしていると、トランプ氏がツイッターで批判した。これは、ボーイングのC.E.O.がトランプ氏の貿易政策を批判したのをシカゴ・トリビューン紙で読んで腹を立てたからだと言われている。

 いかなる理由でトランプ氏を怒らせて攻撃の対象となるか、予測できないのだ。正面切ってトランプ氏の貿易政策や雇用政策を批判しようとするなら、安倍総理たちもトランプ氏の怒りを買うかもしれない。



アメリカ抜きのTPPは意味がない?

 安倍総理は、アメリカ抜きのTPPは意味がないと国会などで発言して来た。アメリカ抜きのTPPがそうでないTPPよりも利益が薄くなるのは、自由貿易圏が縮小する以上、当然である。しかし、〝意味がない〟はずがない。

 まず、経済の規模からみても、アメリカが入ったTPPを100とするなら、アメリカ抜きのTPPも40の価値はある。ゼロよりも、やらないよりも価値があるのである。

 さらに、カナダ、オーストラリア、メキシコなどの比較的大きな国がいくつも参加するTPPという自由貿易圏は、これまでのメキシコ、オーストラリアなどの個々の国と結んできたFTA(自由貿易協定)よりも魅力的である。アメリカ抜きのTPPが〝意味がない〟なら、安倍総理が進めた日豪FTAはもっと意味がないことになる。

 しかも、TPPには韓国、フィリピン、タイ、インドネシア、台湾のように多くの国や地域が参加したいと表明している。TPPは拡大する可能性がある。

 また、国有企業、環境、労働など、これまでWTOが対象にしてこなかった分野での規律の創設やサービス、知的財産権などの分野でのWTOルールの深堀りなど、TPP協定が実現した高いレベルのルールは、将来的に多くのメガFTA、さらにはWTO交渉での参考となるだろう。日本政府はレベルの高いルールを作ることをTPPの大きな意義だと主張してきたのではないか。アメリカ抜きでも、TPP協定の新しいルールは残る。政府の担当者は、どうして〝意味がない〟と安倍総理に振りつけるのか?

 いくつかの二国間のFTAが錯綜すると、多数のルールや規則が出来上がることとなってしまう。これをバグァッティという著名な国際経済学者は、スパゲッティ・ボール現象と呼んで批判している。

 メガFTAでは、これに参加する多くの国の間でルールや規則が統一されるというメリットが生じる。アメリカ抜きと言っても、これだけ多くの国が参加することによってスパゲッティ・ボール現象を緩和することができる。



アメリカ抜きのTPP交渉に時間がかかるのか?

 TPPはいろいろな利害の調整の結果できたものなので、アメリカが抜けることで利益のバランスが崩れることになり、もう一度交渉しなおすことが必要でそれには時間がかかるとも、日本政府の担当者は主張しているようである。

 例えば、ベトナムは繊維製品の対米輸出が増えると考えたから国有企業の規律に応じたので、アメリカが抜けると国有企業の規律を新TPPで約束しようとはしなくなると言うのだ。

 そうなのだろうか?

 そもそも、このような提案自体、各国に行っていないので、ベトナムがどのような反応をするかどうかわからない。憶測に基づく反論である。また、これと同様の提案はメキシコの担当大臣が行っていることでもある。メキシコは発効の部分の条項さえ書き直せば、簡単にアメリカ抜きのTPP協定はできると考えているのだろう。

 さらに言えば、日本の農業界が農産物アクセスの譲歩を受け入れたのは、アメリカが課している自動車の関税が将来撤廃されるからだったのだろうか? 農業界にとって自動車業界の利益は関係ない。農業界は農産物のアクセス交渉の結果が受け入れられると思ったから、譲歩しただけである。自動車の関税を考慮して譲歩したのではない。逆に、政府の担当者がほのめかしているように、自動車業界のために農業を犠牲にしたというのであれば、農業関係者の怒りは収まらないのではないだろうか?

 いずれの国でも、個別の分野で、その関係者が他分野での利害とは関係なく、自己の利害を考慮しながら交渉し、その結果を受け入れたのである。アメリカが抜けても、今の約束のままで問題はない。日本の農業界はアメリカへの米の輸入枠がなくなるので、かえって喜ぶはずだ。

 昨年ベトナムを訪問した際、同国の政府高官は国有企業の改革を進めるためにTPPが必要なのだと述べていた。決していやいやながらTPPの規律を受け入れたのではない。また、ベトナムは国有企業の規律に多くの分野を例外扱いしている。守るところは守っているのだ。



アメリカ抜きのTPPはアメリカを呼び戻すための装置

 アメリカ抜きのTPPができると、牛肉については、オーストラリア、ニュージーランドが関税9%で日本市場に輸出できるのに、アメリカは38.5%の関税を払わないと輸出できない。アメリカは日本市場を、牛肉はオーストラリア等に、豚肉はカナダに、小麦はカナダ、オーストラリアに、乳製品はオーストラリア、ニュージーランドに、それぞれ奪われてしまう。似たようなことが、他のTPP加盟国の市場でも起きる。

 こうなると、アメリカ農業界は悲鳴を上げる。トランプ氏は観念的な自由貿易の利益というだけでは説得されないだろうが、TPPから離脱した結果、アメリカの雇用が失われると言うのであれば、考えを修正するかもしれない。トランプ氏が大統領職から退いた後では、アメリカは確実に新TPP協定に加入申請をするだろう。新TPPはアメリカをこれに入らざるを得ない状況に追い込む。

 つまり、アメリカ抜きのTPPはアメリカを取り込むための装置なのだ。いずれアメリカがTPPに帰ってこざると得ない以上、上記の二つの批判は消滅する。



安倍総理の矛盾した国会答弁

 安倍総理は日EUのFTAができると、乳製品についてはアメリカが日本市場で不利になるので、トランプ氏は考えを変えるかもしれないと答弁していた。これは、アメリカ抜きの新TPPができると、多くの農産物についてアメリカが日本市場で不利になるという私の主張と、よく似ていないだろうか。

 乳製品については、アメリカにとってEUよりオーストラリア、ニュージーランドのほうがより強い競争相手である。牛肉、豚肉、小麦等についても、EUより他のTPPメンバー国のほうが、アメリカにとって、はるかに大きな脅威である。日EUのFTA以上にアメリカ抜きの新TPPが、アメリカにTPP離脱を翻意させる効果を持つことは、疑いない。

 さらに、安倍総理の答弁には、気がかりなところがある。

 日EUのFTAは現在交渉中である。EUの担当者は、農林水産省の担当者が農産物関税について厳しい態度をとり続けていると述べている。その中で、安倍総理の答弁は、日本が乳製品の関税について譲歩することを前提としたものとなっている。EUの関心品目は、TPPでも関税を維持したカマンベールなどのソフト系のチーズである。交渉の途中で日本の総理が譲歩を示唆する国会答弁を行ったことになる。EUにとっては、日本からオウンゴールやタイムリーエラーをもらったようなものではないだろうか?



なぜ、政府担当者は安倍総理におかしな振り付けをしたのか?

 政府の担当者にとって、TPPの国会承認を求めた以上、なんとしてもそれを実現しなければならなかった。アメリカ抜きの新TPPというアイデアが出されると、アメリカが入ったTPPを今承認しないでもよいのではないかという主張に抗(こう)しがたくなる。そのために、苦しまぎれに作った理屈が、アメリカ抜きのTPPは意味がないとか、交渉には時間がかかるというものだったのだろう。

 しかし、TPPの国会承認は実現した。日本政府は今後のTPPのあり方について、国会答弁にこだわることなく検討することができる。消費税についての主張にもあるように、安倍総理は発言を変更することに柔軟性を発揮している。

 アメリカ抜きの新TPPという案が、政府部内で真剣に検討されることを期待したい。



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