本文へスキップ

2015.11.27

疾病別に自己負担率変更で、破綻なき財政再建を -公的医療保険改革のコアは給付範囲の哲学の見直し(1)-

「日経ビジネスオンライン」2015年11月2日掲載

  • 小黒 一正
  • 主任研究員
    小黒 一正
  • [研究分野]
    マクロ経済

 骨太2015の財政再建計画が医療改革を重要なテーマとして取り上げている。だが、公的医療保険改革は、これまで期待通りの成果を十分に上げていない。その理由は、改革がパッチワーク的な制度改正に留まっているからである。

 「健康長寿でありたいという願いは、世界中の誰もが、世代を超えて持っている。我が国は、この願いの実現に最も近い位置にいる国であり、その保健医療水準は世界に誇るべきものである。しかし、今や、経済成長の鈍化と人口動態の変化、医療費をはじめとする社会保障費の急増が見込まれる中で、財政は危機的状態にあり、保健医療制度の持続可能性が懸念されている。パッチワーク的な制度改正による部分最適を繰り返してきた日本の保健医療制度は、長期的な視点に基づく変革が求められている」

 この一文は、「保健医療2035提言書」(以下「2035提言」という)の冒頭に登場する文章だ。「2035提言」は、2035年を見据えた保健医療政策のビジョンを策定するため、塩崎厚労大臣が設置した「『保健医療2035』策定懇談会」(座長:渋谷健司・東大教授)が2015年6月に公表した文書。筆者もこの懇談会の構成メンバーを務めている。パッチワーク的な制度改正による部分最適を繰り返してきた日本の保健医療制度が限界に近づいている現状を直視し、抜本改革に向けた哲学(ビジョン)の策定を指示した塩崎大臣の政治判断は正しい。

 2035提言に関するマスコミ等の報道は少ないが、いくつもの重要な提言を行っている。例えば、以下の記載はその一つである。

まず、患者負担については、現在、後期高齢者の患者負担の軽減など年齢によって軽減される仕組みがあるが、これらについては、基本的に若年世代と負担の均衡や、同じ年齢でも社会的・経済的状況が異なる点を踏まえ、検証する必要がある。この他、必要かつ適切な医療サービスをカバーしつつ重大な疾病のリスクを支え合うという公的医療保険の役割を損なわないことを堅持した上で、不必要に低額負担となっている場合の自己負担の見直しや、風邪などの軽度の疾病には負担割合を高くして重度の疾病には負担割合を低くするなど、疾病に応じて負担割合を変えることも検討に値する。

 公的医療保険が担う基本的役割を堅持しつつ、財政再建を行うためには、特に太字部のような「給付範囲の哲学の見直し」が重要であり、それは公的医療保険改革のコアといっても過言ではない。

 というのは、日本の公的医療保険制度は1961年に「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)」(Universal Health Coverage)を達成した。UHCとは、高い平等性・手厚いセーフティネットなどにより、国民の誰もが家計破綻や困窮に陥ることなく、必要かつ適切な医療サービスを利用できる状態をいう。

 このような公的医療保険が担う最も重要な役割の一つとして、「財政的リスク保護」(financial risk protection)という機能がある。簡潔にいうならば、偶発的な重度の疾病に対する治療のために家計が破綻したり困窮したりすることを防ぐ機能である。財政的リスク保護は公的医療保険が担う最も重要な役割なので、財政再建で公的医療保険の給付範囲を見直す場合、家計の所得・資産や医療負担に関する分布などを把握した上で、財政的リスク保護が機能するか否か、しっかり見定めたうえで進める必要がある。


ケーススタディで見る財政的リスク保護

 そこで、財政的リスク保護の意味を深く理解するため、人口1000人の国で、2タイプの疾病リスクAとBのみが存在するケースを考えよう。タイプAは風邪などの軽度の疾病で、病院に行けば、薬代を含めて1万円のコストで治療ができるもの。どの人も年間75%の高い確率で病気にかかるリスクがあるとする。他方、タイプBは心臓病などの重度の疾病で、手術代を含めて600万円のコストが治療にかかる。ただし、どの人も年間0.1%の低い確率でしか発病しないものとする。

 この国の毎年の平均医療費はいくらだろうか。まず、タイプAの発病確率は年間75%であるから、国民1000人のうち750人(=1000人×75%)がかかる。この治療に1人当たり1万円のコストを要するので、タイプAの毎年平均の医療費は750万円である。他方、タイプBの発病確率は年間0.1%であるから、国民1000人のうち1人(=1000人×1%)がかかる。この治療に1人当たり600万円のコストを要するので、タイプBの毎年平均の医療費は600万円である。以上から、タイプAとBを合計し、この国の平均医療費は毎年1350万円と計算できる。

 この国の医療費の自己負担が、疾病によらず3割である場合、この国では、405万円(=1350万円×3割)を患者が自己負担する一方、残りの945万円(=1350万円×7割)は医療給付で対応し、医療給付の財源は国民が支払う社会保険料や税金で賄うことになる。

 ミクロ・レベルでは、タイプAの治療のため、国民1000人のうち患者750人が0.3万円(=1万円×3割)を自己負担し、タイプBの治療のため、国民1000人のうち患者1人が180万円(=600万円×3割)を自己負担する。

 また、国民が支払う社会保険料や税金は、国民1人当たり0.945万円(=945万円÷1000人)である。この国の平均年収が400万円の場合、180万円もの自己負担が必要なタイプBを発病した患者の家計は破綻か困窮する可能性が高い。


重度疾病患者の自己負担率を下げる

 このような問題を解決する一つの方法は、疾病別の自己負担を導入することである。例えば、軽度のタイプAの医療費における自己負担を3割から5割に引き上げ、重度のタイプBの自己負担を3割から0.5割に引き下げてみよう。

 この場合、ミクロ・レベルでは、国民1000人のうち患者750人が0.5万円(=1万円×5割)を自己負担し、タイプBの治療のため、国民1000人のうち患者1人が30万円(=600万円×0.5割)を自己負担する。この国全体の自己負担は405万円(=750人×0.5万円+1人×30万円)で、疾病別の自己負担を導入する前と変わらない。

 つまり、軽度のタイプAを発病した患者が幅広に0.2万円(=0.5万円-0.3万円)を追加負担するだけで、重度のタイプBを発病した患者の自己負担を150万円(=180万円-30万円)も減少させ、タイプBの患者の家計破綻や困窮を回避できることが分かる。


一律の負担割合を変えずに財政再建を進めたら...

 では、財政再建を進めるため、945万円で賄っている医療給付を810万円に圧縮する必要がある場合はどうだろうか。

 このケースでは、この国の毎年平均の医療費は1350万円であったから、残りの540万円(=1350万円-810万円)を国民全体の自己負担で賄う必要がある。

 これは、疾病別の自己負担を導入せず、国民全員が一律に3割であった自己負担を4割(=540万円÷1350万円)に引き上げることを意味する。この時、ミクロ・レベルの負担増は激変する。理由は、軽度のタイプAを発病した患者は0.4万円(=1万円×4割)の自己負担で、負担増は0.1万円(=0.4万円-0.3万円)で済むが、重度のタイプBを発病した患者の自己負担は240万円(=600万円×4割)となり、負担増は60万円(=240万円-180万円)にも達するためである。

 つまり、疾病ごとの医療費の分布を考慮せず、一律に自己負担を引き上げる対応は、公的医療保険が担う財政的リスク保護の機能を弱め、タイプBを発病した患者の家計を破綻・困窮させる可能性を高めてしまう。


財政再建を進めてもタイプAの自己負担は6.8万円ですむ

 では、医療給付を810万円に圧縮する際、疾病別の自己負担を導入し、重度のタイプBの自己負担を0.5割に維持した上で、軽度のタイプAの自己負担を引き上げることで対応するケースを考えてみよう。

 このケースでも、この国の毎年平均の医療費は1350万円であったから、残りの540万円(=1350万円-810万円)を国民全体の自己負担で賄う必要がある。この540万円の自己負担のうち、重度のタイプBの自己負担の総額は30万円(=600万円×0.5割×1人)であるから、510万円(=540万円-30万円)を軽度のタイプAの自己負担で賄うことになる。これは、軽度のタイプAの自己負担を6.8割に引き上げることに相当する。

 実際、タイプAの発病確率は年間75%で国民1000人のうち750人(=1000×75%)がかかるため、軽度のタイプAの自己負担の総額は510万円(=1万円×6.8割×750人)に一致することが簡単に確認できる。しかも、このとき、軽度のタイプAを発病した患者の自己負担は6.8割に引き上がるが、その負担は0.68万円(=1万円×6.8割)に過ぎないという視点も重要である。


家計の破綻や困窮を防ぎつつ、医療給付を効率化

 自己負担を厳密に議論する場合、高額療養費制度の影響も考慮する必要がある。この制度も財政的リスク保護を担う機能の一つである。高額療養費制度とは、同一の月にかかった医療費の自己負担額が高額になった場合、自己負担限度額(平均的サラリーマンの場合は約9万円)を超えた分が、後日払い戻される。

 この制度も考慮すると議論が複雑になるため、上記の議論では考慮しなかった。ただし、上記で扱った自己負担は、高額療養費制度の影響を含む「実質的自己負担」を表していると考えれば、一般性は失われない。

 いずれにせよ、以上の事実は、疾病ごとに自己負担の割合を操作することが、公的医療保険の役割(財政的リスク保護)を堅持しながらの財政再建に貢献することを意味する。その際、重要な視点は、軽度かつ発病確率の高い疾病(風邪などの低リスクの疾病)の自己負担の割合は高める一方、重度かつ発病確率の低い疾病(心臓病などの高リスクの疾病)の自己負担の割合は低くすることで、家計の破綻や困窮を防ぎつつ、医療給付を効率化するという視点である。すなわち、このような「給付範囲の哲学の見直し」が公的医療保険改革のコアといっても過言ではない。

小黒 一正 その他コラム・メディア掲載/論文・レポート

小黒 一正 その他コラム・メディア掲載/論文・レポートをもっと見る

マクロ経済 その他コラム・メディア掲載/論文・レポート

コラム・論文一覧へもどる