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2015.11.25

TPP合意の総括的評価

『週刊農林』第2265号(11月5日)掲載

 TPP交渉が妥結した。

 日米の政権の交渉妥結に向けての決意が実ったものだといえる。安倍政権にとってTPPは、第三の矢の最も重要な政策だった。また、これまで目立った実績のないオバマ米大統領は、政権のレガシーをTPPに求めていた。

 連邦議会とは対決姿勢を貫き、ほとんど議会工作や根回しをしてこなかったと批判されてきたオバマ大統領が、通商交渉の権限を議会から政府に授権してもらうTPA法案の成立については、自らペロシ民主党下院院内総務の説得に乗り出すなど、積極的に動いていた。TPP妥結のためには、TPA法案の成立が必要だったからだ。

 また、アメリカには中国が主導するAIIBにイギリスなど多数の同盟国が参加してしまったという、屈辱的な経験があり、TPPが成立しなければ、アジア・太平洋地域でアメリカの影響が格段に低下してしまうというおそれがあった。

 今回交渉を妥結させるため、オバマ大統領は各国首脳に積極的に働きかけている。我が国の農業界の中にはTPP交渉の妥結を望んでいなかった人たちもいただろうが、その期待は実現されなかった。

 当初、TPPは例外なき関税撤廃を行うとともに、停滞しているWTO交渉に代わり、アジア・太平洋地域で新たな貿易や投資のルールを作る21世紀型の自由貿易協定だと強調された。農業界は、例外なき関税撤廃におびえた。また、TPPに入ると、国民皆保険制度がアメリカに破壊されるなど、影響が起きる「かもしれない」という根拠のない主張が、通商交渉やWTO協定などを知らない評論家といわれる人たちによって、主張された。農協や医師会は、TPPへの大反対運動を展開した。結果はどうなったのだろうか?農産物のうち重要5品目について関税撤廃の例外は実現したし、TPPへの数々の批判が根拠のないものだったということが明らかになりつつある。TPPおばけは消えようとしている。しかし、必ずしも喜んでよいものばかりではないのではないだろうか。


レベルの低い日本の約束

 関税撤廃品目の比率を表す、いわゆる自由化率では、日本は95%となった。これまで日本が結んだ、自由貿易協定での日本の最高自由化率は88%だったので、これを上回る結果となった。日本の場合、工業製品は100%の自由化率を約束できるので、自由化率を上げようとすると、農林水産品の自由化率を上げることが必要だった。今回、農林水産品の自由化率を81%としたので、自由化率は上昇した。これまでの自由貿易協定と比べて高い自由化率だと、評価する向きもある。

 しかし、他のTPP参加国を見ると、工業化の遅れているマレーシアやベトナムですら、工業製品の100%の自由化(関税撤廃)を約束した。農林水産品についても、乳製品や鶏肉などの品目に大きな問題を抱えているカナダですら94%の自由化率、ペルー、メキシコも96%の自由化率を、それぞれ約束している。その結果、日本以外では最も低いカナダ、ペルー、メキシコの自由化率は99%、その他の国は100%の自由化率を約束することになった。

 日本の自由化率が低いのは、農林水産品の自由化率が他の国に比べて低いためである。これは重要5品目の関税を撤廃しないことを、交渉条件に掲げて交渉したからに他ならない。

 森山農相は20日の閣議後記者会見で、農林水産品の自由化率が81%、撤廃対象にならなかった割合が19%となったことについて、「参加国の中では群を抜いて高い結果で、しっかり守れた。良い結果になったのではないか」と述べた。つまり、米、麦、牛肉・豚肉、乳製品、砂糖などを関税撤廃の例外とすべきだとした、国会の農林水産委員会の決議は守った、農業に影響は少ないと、言っているのだ。

 農業界は、譲歩したことにやや不満だが、国内対策も講じられるので、評価するという対応ではないだろうか?調製品など重要5品目の3割のタリフラインについて関税が撤廃されたことをとらえて、国会決議が守られなかったと主張する人たちもいる。しかし、国会決議は、日本の農業界と選挙でその動向を無視できないと考える国会の農業関係議員が、交渉相手国のことなど考えないで、一方的に宣言しただけの話で、それが満額実現できるとは、決議をした人たちも考えていなかったはずである。

 しかも、国会決議というが、これは農業関係議員の集まりである農林水産委員会の決議であって、本会議の決議ではない。つまり、国会全体の意思の表明ではない。ガット・ウルグァイ・ラウンド交渉の際には、一粒たりとも入れないという衆参両院の本会議の決議が何度も行われたにもかかわらず、米は部分開放された。農業界の本音は、「例外なき関税撤廃」という状況から、よくもこれだけ例外を確保できたものだという気持ちではないだろうか。


日本の利益は?

 しかし、このように関税撤廃の例外を多く要求したために、アメリカが自動車にかけている2.5%の関税は、15年後に削減が開始され、25年後になってやっと撤廃されることになった。日本の産業界がTPPに関心を示したのは、米韓自由貿易協定によって、来年から自動車の関税が撤廃される韓国に比べ、日本車が米国市場で競争条件が劣ってしまうということだった。この競争条件の不利性は25年も固定されることとなってしまった。

 私は、9月上旬に日本記者クラブで講演した際に、農業関係の新聞記者から、こんなメリットの少ない協定に参加する意味があるのかという質問を受けた。しかし、そんな協定にしたのは、あなたがた農業界ではないのだろうか?

 米の関税は、キログラム当たり341円である。一俵では、2万460円である。国産米価が1万2千円のときに、このように異常に高い関税を維持する意味がどこにあるのだろうか。価格ゼロの輸入品に対しても、1万2千円の関税で対抗できる。41%の関税削減を行っても、何らの問題はなかった。しかし、関税維持にこだわったため、アメリカにも同様な態度をとらせることになった。

 そもそも、なぜ関税が必要なのか?アメリカやEUが採っている直接支払いで、なぜ日本の農業は保護できないのか?農業経済学者は、極端に品質の劣る海外農産物の価格を採ってきて、直接支払いだと膨大な財政負担が必要だと主張する。しかし、これは、現に膨大な消費者負担を国民に強いていることを、白状していることに他ならない。国民負担の点では、消費者負担も財政負担も同じである。

 さらに、国民経済の厚生を最大にするのは、関税なしの自由貿易を採り、農業は直接支払いで保護するという政策である。だから、OECDなど世界の農業経済学者は、この政策を推奨しているのだ。日本の農業経済学者の主張は、経済学者としての主張ではない。TPP交渉で農産物の関税が撤廃されれば、農業改革を行う重要なきっかけになるはずだった。しかし、日本は、そのまたとない機会を逃してしまった。

 農業界が、このような特殊な主張を繰り返しているために、一般の国民は農業を敬遠するようになったのではないか。これは農業のためにもならないはずだ。消費者負担にせよ財政負担にせよ、保護されていることは、農業が経済の他の部門に依存していることに他ならない。


評価できる部分

 もちろん評価できる部分もある。

 第一に、他の国の市場へのアクセス増加である。アメリカの自動車関税などを除き、日本が輸出する農産品も工業製品も、相手国の関税が引き下がるメリットを受ける。コンビニ店舗や銀行の支店の出店もより拡大される。また、公共事業などの政府調達も、アメリカ、オーストラリア、カナダ、シンガポール、ペルー、チリについては、今以上にアクセスの範囲が拡大するし、それ以外の国に対しては、新規にアクセスできる。

 第二は、ルールの設定または拡充である。偽造品の取引防止など知的財産権の保護、投資に際しての技術移転要求やローカルコンテンツ要求の禁止、動植物検疫・食品安全措置についての透明性向上や紛争処理のための協議、国有企業と海外企業との間の同一の競争条件の確保、関税削減・撤廃の優遇措置について、域内すべての付加価値を合算することで一定上の付加価値率を実現している物品を対象とできる累積原産地規則など、WTOの規律以上またはWTOでは行ってこなかった分野についての規律が導入された。

 第三に、自由貿易協定は、入るとメリットがあるが、入らないとデメリットを受ける。野田総理(当時)のTPP事前交渉参加の発言を受けて、カナダとメキシコの首脳が、その場でTPP参加を決断したのは、その例である。TPPが大きなものであればあるほど、また大きくなればなるほど、参加を希望する国は増える。また、日中韓、日EU間の自由貿易協定交渉も、加速するだろう。

 以上のようなメリットもあるが、すべての関税撤廃など当初目指したレベルの高い協定は実現できなかった。21世紀型の自由貿易協定と胸を張れるようなものには、ならなかった。

山下 一仁 その他コラム・メディア掲載/論文・レポート

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