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2014.01.15

2014年どうなるTPP交渉(上) アメリカは頑なだったのか?

WEBRONZA に掲載(2014年1月1日付)

 シンガポール会合が不調に終わってから、主要紙の幹部記者やTPP参加国の政府高官たちから、TPP交渉の行方について、意見を聞かれるようになった。もちろん、私がウルグァイ・ラウンドなどの通商交渉の経験があることを、知っての上である。彼らから得た情報も踏まえ、TPP交渉がどうなるのか、情勢分析をしよう。

 日本の報道によると、TPP交渉は、アメリカの意気込みにもかかわらず、アメリカが関税の全廃を要求し、日本が農産物5品目の関税撤廃に1ミリとも譲らないという態度を示したため、2013年中の合意はできなかった。取材に行った記者の人によると、シンガポール会合では、アメリカと日本が長時間交渉している間、他の交渉国はじっと待っている状態だったという。

 アメリカが昨年内の合意を目指したのには、三つの理由がある。

 一つは、交渉上手なEUとの自由貿易協定交渉を本格的に始めようとしており、人手の少ないUSTR(アメリカ通商代表部)としては、TPPとEUという二正面作戦は避けたかったためである。組織の内部事情をよく知るフロマン通商代表にとってはこれが最も重要だったに違いないだろう。

 二つ目は、2014年はアメリカの中間選挙の年だという点である。貿易自由化は特定の業界には悪い影響を与える。アメリカにとっては、自動車とか繊維業界などだ。したがって、2014年11月の選挙の相当前に妥結することが望ましい。

 最後に、アメリカ憲法上、通商交渉の権限は連邦議会にあるという事情がある。このため、TPA(貿易促進権限)法によってUSTRは交渉権限を授権されてきた。現在TPAをUSTRは持っていない。もちろんTPAがなくても、交渉した協定について議会に承認を求めることも可能だが、議会は自由に修正することができる。そうなれば、USTRは再交渉しなければならなくなる。TPAを得るためには、交渉を実質的に進展させ、議会にTPPがアメリカの通商利益を増大するものであることを具体的に示さなければならない。

 我が国では、アメリカが強硬な態度をとり続けたために、合意ができなかったと報道されている。これを読んで「アメリカけしからん」という議論を展開する識者もいる。しかし、これは日本側の見方である。おそらく日本の記者にとっては日本の交渉官たちが主な取材源なので、こうした報道をしてしまうのだろう。

 英語力やTPP交渉の知識を備え、他国の交渉官に果敢に取材した記者が、どれだけいたのだろうか。単に接触するだけでは、深い情報は得られない。細部に及ぶ知識、ロジック、英語力がなければ、情報は引き出せない。なお、私に意見を聞きに来た幹部記者は、そうした人である。

 私に接触してきた人のうち、これまでTPP交渉に深くかかわってきたあるTPP参加国の政府高官は、全く別の見方をしていた。今回の会合で、アメリカは、医薬品の特許などの知的財産権の分野、国営企業に対する規律など、他の国と対立してきた分野で、交渉をまとめようと柔軟な態度をとっていたというのだ。農産物5項目の関税について1ミリとも譲らないという態度を示した日本に柔軟性がなかったというのだ。

 日本では、総理官邸筋の意見として、2013年2月安倍総理がオバマ大統領と会って、アメリカは工業製品(自動車)、日本は農産物にセンシィティビティがあることを認め合ったはずではないか、という報道がされている。この会談後、安倍総理は、TPP交渉には聖域があることを確認したと発言して、交渉入りを決断した。

 しかし、アメリカとしては、センシィティビティがあるとは認めたが、それは関税を維持するということではないという理解だろう。関税維持は日本の思い込みであって、アメリカはそこまで約束していない。アメリカも自動車の関税を撤廃することは認めている。その撤廃までの期間を長くすることがセンシィティビティの反映だと考えているのだ。私がアメリカの交渉者なら、「日本は、農産物について同じ対応をとればよいではないか。アメリカの対応は、首脳会談の合意文書の通りだ」と言うだろう。

 シンガポール会合で、アメリカは、日本の農産物について、20年という長期の関税撤廃期間を提案してきたという。アメリカに、「センシィティビティを考慮しているではないか。20年もかければ、日本農業の生産性も向上できるのではないか」と主張されれば、日本は反論できないのではないだろうか。

 冷静に考えると、このアメリカ提案は、日本にとっても悪くない。コメの関税は、キログラム当たり341円である。国内のコメの価格は210円程度である。輸入米の価格が0円でも関税を払えば341円となるので、国内のコメと競争できない。関税が210円になって、0円の輸入米は初めて日本米と競争できる。20年で関税を撤廃すればよいので、毎年の関税削減幅は17円(341÷20)である。関税が210円になるまで、8年({341-210}÷17円)かかる。

 農水省が日本米と比較した際の輸入米の価格は120円である。この輸入米は関税が90円の時に初めて210円の日本米と競争できる。関税が90円になるまで、15年({341-90}÷17円)かかる。つまり、15年間は、今の価格でも全くコメ農業に影響は出ない(アメリカのコメ業界は15年間輸出を拡大できない)。規模拡大や品種改良を行い、競争力を向上する期間が15年もあるのである。

 減反を廃止し、40年ぶりに戦後農政の大転換を行い、農地の中間管理機構などを創設して、農業の競争力を向上させようとしている安倍内閣にとっては十分すぎる時間ではないか?

 日本としては、民主党には交渉力はないが、自民党には交渉力があるからTPPに参加しても聖域は確保できると、安倍総理が選挙で大見えを切った以上、関税撤廃を5項目のうち一つでも認めると、政権に大きな傷がつく。だから1ミリでも譲歩できないという頑なな態度をとるしかなかったのだ。

 交渉というものは、相手の立場に身を置いて考えると、今まで見えなかったものがよく見えることが少なくない。報道も、日本の交渉官だけに接触するだけでは、客観的、中立的で、正確な報道はできないのではないだろうか。


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