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2013.12.27

農家の保護と農業の保護

NHK第一ラジオあさいちばん「ビジネス展望」 (2013年12月24日放送原稿)

1.今回の減反政策の変更が議論される過程で、農家の所得がどうなるかが議論されたようです。

 農林水産省は、今回の政策変更によって、主食用ではなくエサ用にコメを作付けた場合に大幅に補助金額を引き上げることとしたことや、新たに農地維持のための活動をしていれば補助金を出すという仕組みを導入したことから、平均的な農業集落では農業所得が13%増加するという試算を公表しました。政治家の人たちにとって、政策変更によって選挙区の農家の所得がどう変わるかということは、大変重要です。

 今回の政策変更は、民主党政権が導入した戸別所得補償を従来から自民党がバラマキだとして批判し、この廃止を選挙公約に掲げていたことから、行われたものです。この戸別所得補償が減反の目標数量を達成した農家に払われるという仕組みだったことから、戸別所得補償を廃止することが、減反の廃止だと報道されるようになりました。

 戸別所得補償とは、10アールの水田について1万5千円を支払い、また米価が一定の水準より下がったら、下がった分を支払うというものでした。これは、名前が示す通り、農家の所得を補償しようとしたものでしたから、この政策を廃止することにより、農家の所得が減るのではないかと、政治家の人たちは心配したのでした。結果的には、戸別所得補償は直ちに廃止するのではなく、来年度は半額の7千5百円を残すこととしました。これとエサ米に対する補助金の増額や農地を維持することに対する新しい補助金の導入によって、農林水産省は農業の所得は増加すると試算したわけです。もちろん、米価は下がらないことが前提です。


2.これについて、どう考えていますか?

 中国では、農村部の所得よりも都市部の所得の方が3倍も高いという問題が、内政上の最大の課題となっています。

 実は、戦前の日本も同じような問題を抱えていたのです。都会に比べ、農村は貧しかったのです。小作人は収穫したコメの半分近くを地主に小作料として納めなければなりませんでした。小作人は手元に残ったコメを売って、翌年の肥料などを買わなければなりませんでした。このため、小作人の中には、自分が作ったコメを食べられない人たちもいました。特に、1930年の昭和恐慌の際には、豊作も重なって米価が暴落し、その翌年は東北や北海道で凶作となり、食べる食料もなくなったことから、東北では娘を身売りするという悲惨な状況になりました。

 年配の方の中には小倉武一という名前をご記憶の方もいらっしゃると思います。1961年の農業基本法の生みの親で、農林省退官後は政府の税制調査会長を16年間も務めました。小倉さんを含め戦前農林省に入った人たちは、農村の悲惨さを目の当たりにして、農村の貧困を克服しようという意気に感じた人たちでした。今の谷垣法務大臣のお父さんの谷垣専一さんや、リクルート事件で竹下内閣が総辞職した際、「本の表紙を変えても、中身を変えなければだめだ」と言って総理総裁を断った伊東正義さんもそうした人です。

 戦前の農政官僚たちは、小作人の地位向上のために、地主階級とその利益を代弁する帝国議会の政治家たちに挑戦し続けました。その執念というべき情熱が実ったのが、戦後の農地改革です。歴史の教科書では、農地改革はGHQ、占領軍が行ったと記述されています。しかし、財閥解体などの戦後の経済改革の中で、唯一農地改革だけは日本政府、農林省の発案によるものでした。もちろん農地改革に反対する当時の保守党を説得するために、GHQの力は借りました。しかし、農地改革を発案し、実行したのは、農林省でした。小倉さんは第二次農地改革の担当課長でした。


3.今の農村はどうでしょうか?

 私が尊敬する農業経済学者に暉峻衆三さんという方がいらっしゃいます。「日本の農業150年」という、日本農業の歴史を勉強するうえで欠かせない本を書かれています。最近、その暉峻先生から自分の歴史を書かれた本をいただきました。その中で、先生は、「1970年代初めになると、もはや農家、農村が貧困だとは一般的に言えなくなった。貧農は基本的に解消した。都市に比べて、農家、農村がとりわけ貧困という事態ではなくなった。」と述べられています。兼業化が進んだことから、1965年以降、農家の所得は、勤労者世帯の所得を上回って推移するようになりました。農村から貧困は消えたのです。農家所得の中で、農業からの所得は110万円、兼業などの農業以外からの所得は農業所得の4倍の432万円、年金等は229万円となっています。

 農家所得を問題とすべきではなくなったのです。もちろん、食料を安定的に国民に供給するためには、農業を維持・発展させる必要があります。しかし、それはあくまでも国民・消費者のためです。戦前の農政官僚は、この点を片時も忘れたことはありませんでした。戦前の農政官僚を代表する石黒忠篤という人は、「国の本なるが故に農業を貴しとするのだ。国の本たらざる農業は一顧の価値もない」と言います。

 彼が言おうとした「国の本たる農業」とは、国民に食料を安定的に供給するという責務を果たす農業でした。今の減反政策のようにコメの生産を減少させ、国民消費者に高い米価を強いることは、戦前の農政官僚の嫌ったことでした。経世済民という経済政策の原点を農政は忘れはならないと思います。


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