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2012.09.12

医療産業集積ピッツバーグのビジネスモデルUPMC

竹中工務店 広報誌「approach」 2012年秋号に掲載

  • 松山 幸弘
  • 研究主幹
    松山 幸弘
  • [研究分野]
    財政・社会保障

 21世紀の世界経済成長の最大のエンジンが医療産業であることは衆目の一致するところである。その医療産業を核に地域再生繁栄の成功例として米国のピッツバーグが注目されている。世界中から医療関連の人材、企業、資金、患者が集まるピッツバーグの医療産業集積で中核事業体となっているのが、UPMCの略称で知られるピッツバーグ大学医療センター(University of Pittsburgh Medical Center)である。UPMCはピッツバーグの政財界・学界が一丸となり、計画的に創られた事業体である。
 1970年代までピッツバーグはUSスティール社の製鉄工場が建ち並ぶ世界屈指の鉄鋼都市だった。しかし、経営危機に陥った同社が1982年に事業内容を鉄鋼から資源エネルギーに大転換、ピッツバーグには公害による廃墟と失業がもたらされ、米国で最も住みにくい都市の一つに転落した。そこで、地元政財界・学界の重鎮が協議し、医療を柱にピッツバーグを再生する成長戦略ビジョンを作成したのである。
 この成長戦略ビジョン実現のための最初の一手が、ピッツバーグ大学から附属病院を切り離し別法人とすることだった。米国においても当時の大学医学部のマネジメントは外科、内科、精神科といった具合に20以上の専門に分断され、縦割りサイロ方式に運営されていた。このままでは収益部門であるべき附属病院の競争力を高めることができない。そこで1986年に大学から附属病院を切り離し、提携先病院も合わせて3病院を経営統合することによって設立されたのがUPMCである。
 これにより医療事業で民間企業的経営手法を徹底追求する仕組みが整った。その後の10年間で世界標準の医療事業体としてのインフラを完成させたUPMCは、1996年に海外進出も含めた多角化戦略を策定した。当時、老舗の大規模医療事業体であるメイヨークリニック(ミネソタ州)、クリーブランドクリニック(オハイオ州)、マサチューセッツ総合病院(マサチューセッツ州)は、世界中から多くの患者が来ているため、海外進出には消極的だった。医療技術の進歩やIT革命、医療事業体の一層の大規模化に伴い、医療経営も複雑化、高度化していた。そこで、UPMCは海外進出の具体策を練ると同時に、経営管理部門の専門人材を米国内のみならず世界中から募った。
 このUPMCの成長戦略を任されたのが、現在CEOを務めるジェフリー・ロモフである。ロモフはニューヨーク市立大学で科学学士、エール大学で政治学修士を取得した後、1973年にピッツバーグ大学附属の精神病院に就職した。そして、1986年のUPMC設立時にはその執行役員に抜擢され、1992年社長就任、2006年社長兼CEO就任というように、UPMCの成長の中心には常にロモフがいた。
 ロモフのリーダーシップの下、2010年、UPMCは事業収入で80億ドル超となり、目標としてきたメイヨークリニックの79億ドルを抜いた。その直後2年間のUPMCの成長も目覚ましく、2012年6月期の事業収入は100億ドルに達したのである。このUPMCの成長が地域住民に与えた最大の恩恵は雇用創出である。ちなみにピッツバーグを郡都とするアレゲニー郡の失業率(2012年3月6.7%)は、全米平均を常に約2ポイント下回っている。この低い失業率と世界標準の医療施設群が製鉄工場の廃墟にとって代わったことから、ピッツバーグは今では全米で最も住みやすい都市に昇格した。その結果、ロモフは鉄鋼王アンドリュー・カーネギーと並び称される、ピッツバーク発展の功労者として尊敬を集める存在になっている。


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「医療産業集積ピッツバーグのビジネスモデルUPMC」PDF:501.7 KB

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