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2011.11.01

TPPと遺伝子組み換え食品

NHK第一ラジオあさいちばん「ビジネス展望」 (2011年11月1日放送原稿)

1.TPP議論の中で、日本の食品安全規制が低いアメリカの基準に引き下げられるというものがあります。特に、遺伝子組み換え食品について、日本の規制が緩められてしまうという懸念が出されていますが、これについては、どのように考えればよいのでしょうか?
 まず、食の安全と貿易について、国際ルールがどのようなものとなっているか、ご説明します。
 食品・動植物の輸入を通じた病気や病害虫の侵入を防ぐため導入される衛生植物検疫措置―これをSPS措置といいます―は国民の生命・身体の安全や健康を守るための正当な手段です。
 他方、我々は、貿易によって世界中からさまざまな食品を輸入し消費しています。国際交渉によって関税が引き下げられるなど伝統的な産業保護の手段が使いにくくなっている中で、これに代わってSPS措置が国内農業の保護のために使われるようになっているという指摘があります。貿易の自由化の観点からは、保護貿易の隠れ蓑となっているSPS措置の制限・撤廃が求められます。しかし、真に国民の生命・健康の保護を目的としたSPS措置であっても、貿易に対して何らかの効果を与えることは疑いのないところです。このため、生命・健康の保護を目的とした真正の措置と貿易制限を目的とした措置との区分は容易ではありません。
 このため、食の安全という利益と食品の貿易・消費の利益の調和が必要になります。このような二つの要請のバランスを図ろうという試みが、1986年から開始されたガット・ウルグァイ・ラウンド交渉の一環として行われました。その結果1994年合意されたWTO・SPS協定は、この問題の解決を「科学」に求めました。科学的根拠に基づかないSPS措置は認めないとしたのです。生命・健康へのリスク(危険性)が存在すること、そして当該SPS措置によってそのリスクが軽減されることについて、科学的根拠が示されないのであれば、その措置は国内産業を保護するためではないかと判断したのです。そのうえで、各国のSPS措置を国際基準と調和(ハーモナイゼイション)することを目指しています。各国の規制が統一されている方が、貿易の円滑化に資するからです。

2.アメリカの立場はどのようなものだったのでしょうか?
 国際基準とは、食品添加物や残留農薬等の食品の安全性についてはコーデックス委員会(FAO/WHO合同食品規格委員会)、BSEなど動物の健康についてはOIE(国際獣疫事務局)がそれぞれ作成したものです。
 高い安全基準を要求するアメリカの消費者団体は、SPS協定が国際的な調和を求めることで、アメリカ国内の基準がより低い国際基準に引き下げられるのではないかと心配し、これを「下方へのハーモナイゼイション」であると批判しました。このため、アメリカは、ガット・ウルグァイ・ラウンド交渉の最終段階で、消費者団体の懸念を考慮して、SPS協定の修正を提案し、これを勝ち取っています。SPS協定では、各国が国際基準より高い保護の水準を設けることができ、科学的証拠に基づき厳しいSPS措置を設定できることを、明記しています。コーデックス委員会やOIEの国際基準が存在する場合においても、それよりも厳しい措置をとることは可能なのです。さらに、科学的根拠が不十分なときにもSPS措置が採れるという「予防原則」の考え方も、一定の要件の下で認められています。アメリカでも厳しい食品安全規制を要求する団体の要求を無視できないということです。

3.遺伝子組み換え食品については、どうでしょうか?
 TPP交渉で遺伝子組み換え食品についての規制が緩和・撤廃されるのではないかという主張があります。まず、どの国も安全性が確認された遺伝子組み換え食品しか流通を認めていません。各国で規制が異なるのは、安全だとして流通を認めた遺伝子組み換え食品についても表示の義務付けを要求するかどうかです。(なお、この表示は安全性が確認された食品についてのものなので、食品の安全に関するSPS協定ではなく、WTOの別の一般的な協定(TBT協定、ガット)が適用になるかもしれませんが、TBT協定でも国際基準への調和などを規定しています。)
 アメリカはそのような表示は全く不要であるという立場です。日本は、豆腐など遺伝子組み換え大豆のDNAやたんぱく質が食品中に残存する製品についてのみ、遺伝子組み換え農産物を使用したという表示を義務付けています。これに対してEUでは、豆腐などの製品だけでなく、しょう油などのDNAなどが残存しない製品についても、表示を要求しています。これは製品を調べただけでは表示が正しいかどうか検証できないので、遺伝子組み換え農産物とそうでない農産物について、すべての流通段階で分別、区分けすることを義務づけるしかありません。アメリカがEUの表示規制に反対するのは、このために膨大なコストがかかり、安全性が確認された遺伝子組み換え食品の流通が事実上禁止されてしまうからです。
 これはコーデックス委員会で議論されましたが、各国の立場が異なり、国際的な基準を合意できませんでした。日本の表示規制については合理性があると判断されますし、豪州、ニュージーランドもアメリカのような表示制度には反対の立場です。実は、2002年APECの貿易大臣会合でアメリカがEUの規制はおかしいとAPECの全貿易大臣からEUに申し入れをしようとしました。当時担当者だった私は、日本の規制に影響が出かねないと判断して、豪州、ニュージーランドにも働きかけて、この試みを潰しました。TPP交渉で、日本の規制が見直されるとは考えられません。これにかぎらず、TPPに反対する人たちの中には、医療や地方の公共事業などで、一方的にアメリカの制度や要求が押しつけられるという主張が目立ちます。しかし、これまでの日米2国間の協議と異なり、TPP交渉のような多国間の交渉では、それ以外の国と問題ごとに連携することができますし、協定とは双方が共通の義務を負うので自らが要求したことは自らの義務として跳ね返ってきますから、いくらアメリカでも自分の主張を押しつけることはできないのです。

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