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2011.06.28

第二二回・完 マクロ経済政策の政治性③

ゲーデルの貨幣-Ⅲ-政策篇(22) 『週刊金融財政事情』 2011年6月27日号に掲載

求められる開放系での政策協調
 一国を閉鎖経済ととらえる場合、理論的には財政政策や金融政策は短期的な効果しかもたないはずである。しかし現実にはマクロ経済運営の巧拙が経済発展の経路に長期的な影響をもっているように思われる。1990年代の日本が長期低迷に苦しむなかで、アメリカは長い繁栄(大いなる安定)を経験した。
 二国間モデルで考えると、為替の変動や資産バブルの崩壊などによって、対外資産(対外債務)が突然変化すると、二国の経済厚生が永続的に変化する。この効果は、新古典派的なモデルの枠組みではあまり大きくない、と考えられ、重視されていない。しかし、現実の経済をみると、国際的な資源再配分は軽視できないかもしれない。
 もし、マクロ経済政策の長期的な性質として、このような国際的な再配分効果(ゼロサム・ゲーム)が重要ならば、国際的な政策協調を強めることが、通貨政策だけではなく、通常の金融政策や財政政策においても本質的に重要だということになる。
 現状のように政策協調が不十分で、大国が財政金融政策を国内だけをみて実施するならば、「通貨安戦争」のような近隣窮乏化の応酬が起こりうる。
 たとえば、極端な金融緩和でデフレを脱するべきだという、近年の日本のリフレ派の議論をみてみよう。リフレ政策は、貨幣供給を増やして物価の上昇を目指す、というのが表向きの目標である。しかし、同時に、株価や地価を上昇させて不良債権を帳消しにするとか、為替を円安に誘導して輸出を増やすことを目指す考えが、その裏側には存在していた。2002年から07年の景気回復期は、量的緩和政策と同時に円安傾向が続いた。この円安のおかげで、史上最長の経済成長を外需主導で実現することができた。
 為替の下落がリフレ政策の目的の一つだとすれば、それは外国から自国への富の移転を狙う近隣窮乏化政策の一種であるといえる。リフレ政策の主張者は、「貨幣供給を増やすだけで、だれもコストを負担することなく景気をよくできる」というイメージを振りまいていたため、どうにも怪しげな印象を払拭できなかった。もし、堂々と「リフレ政策は外国にコストを押しつける政策である」といってくれていたら、すっきりと納得できただろうと思う。リフレ政策やインフレターゲット論を巡る過去十数年の論争も、相当違ったものになっていたのではないだろうか。
 この連載では、財政破綻リスクを軽減するために、日本の公的部門が、円建て債務を増やして外貨建て資産を積み増すという政策案を論じた。この政策を実施すれば、単純化して考えると、外国が円建ての金融資産の保有を増やし、日本政府が外貨建て資産の保有を増やすという状態になる。その後、国債暴落が実現した場合には、円安になるため、外国が為替差損という形で日本の国債暴落コストの相当部分を負担することになる。その分、日本政府の財政悪化は緩和される。
 こうした予想を作り出すことによって、国債暴落の発生確率を小さくすることが政策の狙いであるが、債務コストの国際的な再配分を活用した政策ともいえる。
 これまでマクロ経済政策の分析は、政府が国内市場だけをみて最適化問題を解く、という数理科学的な枠組みで行われてきた。だが、国際的要素を扱うなら、自国政府と外国政府の間の戦略的な関係を考察する必要がある。
 それにはおそらくゲーム理論の枠組みが必要になる。あるいは、制度や慣習などに着目し、政治経済学の手法を取り込むことが政策分析に求められているのかもしれない。そうなると、もはや経済学よりも政治学の領域に近い。

市場ルールの「正義」を支える「価値観」
 政治的要素は、マクロ政策面だけに限らず、市場システムの全体に深くかかわっている。
 社会学者は、市場経済システムの発展が市場自身の基盤を掘り崩す、と強調する。市場の自己破壊性である。自由の拡大に伴って市場のルールを支えている倫理的基盤が溶解する(例:伝統的な農村共同体の規律の崩壊)。
 こうして人々の市場ルールへのコミットメントが弱まると、取引コストが増え、経済のパフォーマンスが悪化する。
 ラグラム・ラジャン教授が『大断層』で指摘したことも、世界的金融危機がまさにこのメカニズムで発生したということだった。金融市場が発展し、政治力を増した銀行のロビー活動などによって規制ルールが骨抜きになった。その結果、金融機関が暴走し、市場が自己崩壊するに至った。
 市場のルールへのコミットメントをいかに維持するか、という問題は、経済学の枠組みではとらえきれない。市場へのコミットメントを強化するためには、国民(=市場参加者)が、市場のルールに「正義」を認め、その正義を支える「価値観」を広く共有している必要がある。
 それらを与えるのが、現代の政治あるいは政治哲学の本質的な役割であろう。しかし、市場で自由が拡大すると、われわれは共通の「価値観」をもつことができなくなる。それが市場ルールを弱め、市場経済システムを崩壊に導く。この自己否定の循環を抜け出すことが、現代のわれわれが直面する課題だといえる。
 最近、政治哲学が広く関心を集めているのも、この文脈で理解することができよう。われわれの時代は、政治哲学の再構築を必要としている。しかし、それが農村的な共同体主義や国家主義の単純な復興だと思うと誤るのではないか。
 70億人が生きるためには、市場経済が危機に陥らずに機能しなければならない。必要なことは「市場経済を十全に機能させる政治倫理」の再生である。それは自由主義を基礎とした政治哲学にならざるをえない。自由主義を人々の心にボトムアップで定着させることが、グローバルな市場経済の時代を生きるわれわれの課題なのだと思う。

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