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2011.05.30

ユッケ食中毒事件の多重責任

WEBRONZA に掲載(2011年5月14日付)

◇背後にある食品という財の特殊性◇
 一頃頻発した食品の偽装表示事件から今回のような食品の安全性に関わる事件が生じる背景には、消費財としての食品の特殊性がある。
 食品という財は、腐敗や変色をしていれば、消費者が購入前に危害要因を識別できる「探索財」、ある食品がどれだけ日持ちするかなど、購入後一定の時間が経てば消費者がその特徴を把握できる「経験財」、購入後においても特徴を把握することが困難な「信用財」に分類される。
 消費者は、一見しておかしいと判別できる探索財を購入しない。また、消費後に製品の不良を判定できる経験財については、食べて死亡したという場合を除き、通常、だまされた消費者は次に購入機会が生じた際に買わないという決定をすることができるので、企業が消費者をだまそうとするインセンティブは少なくなる。
 しかし、ある食品が山形牛か神戸牛か、どの程度の農薬が残留しているのかなどは、購入・消費後においても一般の消費者は判断できない。発がん性物質に低レベルで暴露されると慢性的な影響が生じるが、発病までに時間がかかるし、いろいろな食品を摂取するので、どの食品が問題を引き起こしたかは特定できない。これらは事後(食べた後)にも消費者が安全性や品質を検証できない「信用財」である。
 今回のような食中毒事件については、一定期間後に微生物(大腸菌)に汚染されていたかどうかという食品の性質を把握できるという意味で、「経験財」のケースではあるが、病気になったり、死亡したりしなければ、その食品の性質はわからないという重大な問題がある。死亡した後に、あの店に行くのは止めようという意思決定は行えないのである。

◇「食の安全」と「情報の非対称性」◇
 このようなケースでは、消費者は企業が自らの要求に答えた商品を提供しているかどうかを判定する手段を持たない。食をめぐる問題は、「信用財」や「経験財」という食品の特殊性によって、企業は食品の性質をわかっているが消費者はわからないことから生じている。経済学で「情報の非対称性」と言われる問題である。企業が持っている情報を消費者は知ることが出来ないうえ、企業が情報を開示しても消費者は情報の真偽を判断する手段を持たない。結局消費者は企業の提供する商品や情報をまるまる信用するしかない。
 山形牛を但馬牛と偽った船場吉兆などの偽装表示事件はこのような情報の非対称性に付け込み、特定の企業が不祥事を犯したというケースである。しかし、偽装表示は「食の安全」とは直接には関係しない。これらの食品を食べて誰かが中毒を起こしたわけではない。多数の人に食中毒を起こした雪印乳業事件、中国産冷凍ギョウザ事件に続く今回の「食の安全」に関する事件は、人の生命・健康に危害を及ぼすものであり、表示をごまかすなどの企業の不祥事よりもはるかに深刻だ。

◇ザル的だった3重のチェック体制◇
 今回の事件では、厚労省がトリミングという表面の削り取りなどの衛生管理基準を単なる行政指導にとどめたため、これら業者が真剣な対応を行わなかったとされている。具体的には、食品衛生法第11条により、食品の製造、加工、調理等の基準や食品の規格を定め、これに違反した加工、調理、販売等を禁止することができたのに、それを怠ったためであると非難されている。厚労大臣は、罰則を持った法的規制を導入することを怠ったことの非を認め、陳謝している。
 このような規制があれば業者の義務はより明確になる。しかし、食品衛生法第6条は、「有毒な、もしくは有害な物質が含まれ、若しくは付着し、又はこれらの疑いのあるもの」、「病原微生物により汚染され、又はその疑いがあり、人の健康を損なう恐れがあるもの」の製造、加工、調理、販売等を禁止している。第6条の規定も第11条と同様、営業停止などの行政処分や刑事罰で担保されている。むしろ、第6条の方が第11条よりも違反に対しては、重い罰則が課されている。第11条による規則がない場合でも、業者は食品衛生法の義務を免れないのである。
 「情報の非対称性」があるため、消費者は適切な処理がなされた牛肉かどうかの判断ができない。食品を提供する業者を信用するしかない。利潤を得ようとするのは、企業の本質である。しかし、人の生命、健康に直結する食品を提供する企業にとって、食品衛生法を順守し食品の安全性を確保することは最低限のモラルである。
 飲食店は提供する肉の細菌検査をしておらず、保健所から指導を受けていたにもかかわらず、肉の表面に付着した細菌を取り除くためのトリミングも行っていなかった。食肉卸売業者も、O111やO157などの腸管出血性大腸菌は牛の腸内に生息しているにもかかわらず、牛の内臓処理をした包丁やまな板で他の部位も加工していた。トリミングも行っていなかった。一連の報道を見る限り、単なる業務上の過失というより、被害者が病気になっても死亡しても仕方がないという「未必の故意」さえ感じる。

◇厚労大臣の裁量行為に問題◇
 厚労省はどうだろうか?生食用牛肉の厚労省基準を満たす肉が出荷・流通していないにもかかわらず、多数の飲食店で、この基準外の肉が生食のユッケとして提供されていることは、認識していた。また、03年以降、原因食品が判明した食中毒の2割はレバーやユッケなどの生食料理だったという。だから行政指導の文書を出したのである。にもかかわらず、業者の責務を明確にするために食品衛生法第11条に基づく法的規制を導入しなかったことは、危険性の認識が甘すぎたという批判は免れない。同じく畜産物である牛乳乳製品については、乳等省令(「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」)によって、厳しく規制されている。
 そもそも、食品衛生法第11条が基準や規格を定めることが「できる」という厚労大臣の裁量行為としていることにも問題がある。これを「しなければならない」という義務的な行為にする必要があるのではないか?外食や加工食品の比重が高まり、信用財や経験財についての「情報の非対称性」が重要な問題となっている今日、法律自体の見直しも必要ではないかと思われる。これこそ、国会の場で十分議論し、政治主導で解決すべき問題ではないだろうか。

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