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2011.04.19

第十四回 供給不足経済へ 反転する常識

ゲーデルの貨幣-Ⅲ-政策篇(14) 『週刊金融財政事情』 2011年4月18日号に掲載

需要不足か供給不足か
 福島第一原発の事故と電力の供給不足の収拾は、数カ月から数年単位の長期戦になる。
 大震災と原発事故によって、日本経済の「体質」が変化したのではないか、という懸念が民間エコノミストを中心に広がっている。体質の変化とは、過去20年間の「需要不足とデフレ」の経済から、「供給不足とインフレ」の経済への変化である。
 まだ詳細はわからないが、震災と原発事故は、日本経済の需要を抑えるだけではなく、供給面に深刻な影響を与える可能性がある。長期化する電力不足、サプライチェーンの分断、それに原発事故に関連するさまざまな供給コストの増加(製品や輸送手段の放射能汚染の検査など)は、日本経済の供給コストを増大させることは間違いない。問題は、供給制約の度合いが、どの程度まで進むのかよくわからないことである。震災前までは、GDP比4%程度(年間20兆円程度)の需給ギャップ(需要不足)が存在していた。この需要不足がゼロになるほど、今回の大震災で供給力が破壊されたとは考えにくいが、「需要不足(とデフレ)の解消が経済政策の目標」という過去20年間の常識が通用しなくなる程度には需要と供給のギャップが小さくなるかもしれない。
 電力不足やサプライチェーンの分断が長期的に日本経済の供給能力を低下させるのかどうか。さまざまな見方はあるが、BNPパリバ証券の河野龍太郎氏など、市場エコノミストには供給力の破壊が長期化することを懸念する声が強まっている(本誌4月4日号33ページ)。
 震災による供給力の破壊がただちに需給ギャップ(需要不足)の縮小につながるとはいいきれない。供給力の破壊が悲観論をもたらし、企業が雇用を削減したり、家計が消費を切り詰めたりすれば、需要が大きく減るため、需給ギャップは拡大する。
 しかし、今後は東北地方を中心に、被災地復興のための公共事業や被災企業の設備復旧のための投資など、公需民需がともに大きくなると見込まれる。悲観論による需要縮小よりも、復興需要の拡大が大きければ、需給ギャップは縮小し、日本経済は需要不足よりも供給能力の不足によって制約される経済に「体質変化」することになる。現に、少なくともいまの段階では、政策当局の実務レベルでは「従来の景気対策のような需要喚起策を実施する必要性は感じていない」という。また、対外収支の面でも体質変化が進む可能性もある。さすがに経常収支が赤字になるというエコノミストはいないが、貿易収支については、数カ月以上の期間にわたって赤字になる、という予想が出ている。

危険な復興国債の日銀引受け
 もしも大震災によって今後の日本経済が需要不足経済から供給不足経済への体質変化が起こるなら、経済政策についての常識も反転することになる。
 たとえば、本連載の第4回で、今後の日本のマクロ経済政策としては、「緊縮財政+金融緩和」の組合せが望ましいと論じた。緊縮財政で国債市場の信認を維持しつつ、金融緩和で需要を喚起し、景気を下支えする、というロジックであった。しかし、このロジックは、日本経済が需要不足経済であることが大前提である。もし、日本が供給不足経済ならば、需要が増えても供給が間に合わず、インフレになるだけである。この場合、望ましいマクロ政策の組合せは「緊縮財政+金融引締め」となり、他地域の需要を絞って被災地復興にあてる、という政策こそ正解ということになる。
 いまのところ、そこまで供給制約が深刻化すると確信をもっている者はいない。しかし、「従来のような需要刺激策やその延長線上の政策は望ましくないのではないか」との意見が増えているようである。
 従来的な需要刺激策とは金融緩和のさらなる進展であり、象徴的な議論が、日銀による国債引受けである。しかし、日銀による国債引受けがいまこのタイミングで大きく取り上げられることは危険である。供給能力が破壊された現状では、かりに震災復興のための追加的な国債発行がなかったとしても、国債暴落のリスクが高まっていると考えられるからだ。
 理由は次のとおりである。
 サプライチェーンが寸断されたうえに、電力不足や原発事故の収拾が長引けば、生産拠点を海外に移す企業が増える。あるいは中国や韓国などのライバル企業に外需を奪われるケースも多発するだろう。そうなれば、貿易収支の赤字体質が定着し、ゆくゆくは経常収支の赤字化も視野に入ってくる。大震災後の為替は、直後の混乱を除くと、徐々に円安が進んでいる。貿易収支や経常収支の赤字化が展望されるようになれば、円安も長期的なトレンドとなる。
 円の下落はいずれ日本の輸出産業の競争力を回復させると思われるが、そこに至る途中段階で、国債価格が暴落する懸念がある。
 円の下落が長期トレンドだと市場で認識されれば、円よりも外貨建て資産のほうが魅力的になり、国内投資家が国債を売って外貨建て資産に乗り換えるインセンティブが一気に高まるからである。このインセンティブは国債利回りが上昇すれば解消するが、政府の巨額な利払い負担を考えれば、長期金利の上昇は容認できないだろう。長期金利を低く抑えれば外貨への乗り換えが起こって国債暴落になる。長期金利が上昇すれば、国債の利払いが雪だるま式に大きくなり、償還への信認が低下し、これもまた国債暴落を引き起こす。
 つまり、震災後に高まった供給制約への懸念は、円安や貿易赤字の予想を強めることによって、国債暴落のリスクを高めている可能性がある。
 この時期に「国債の日銀引受け」のような財政規律を緩めるメッセージを発信すれば、それが国債暴落のトリガーとなるリスクはないか。そうなれば復興資金の調達が困難となり、震災被災者が市場混乱の最大の被害者になる。日本経済は供給不足の制約が強まっているのか、需要不足が続くのか、早急に見極める必要がある。

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