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2011.04.12

第十三回 自己言及パラドックスと財政

ゲーデルの貨幣-Ⅲ-政策篇(13) 『週刊金融財政事情』 2011年4月11日号に掲載

財政破綻リスクの増殖
 個人や一企業の失敗が、社会全体に巨大なダメージを与えうることを、現在の原発事故はわれわれに思い知らせた。しかし、この種のリスクが生み出されたのは現代社会の発展の結果であり、現代社会は自分自身の発展によって自身の基盤を蝕んでいる、といえる。これがリスク増殖社会の概念枠組みである。
 財政破綻のリスクについても同様のことがいえる。財政再建を先送りし、福祉国家路線を追求する、という政府の行動が、財政破綻のリスクを高めてきた。財政破綻が起これば、インフレと金利上昇による倒産などの大きなコストが国民全体に課せられることになる。
 このリスクを本質的に軽減する方策になりうるのが、震災前から筆者が主張してきた外貨建て資産を公的セクターで蓄積するという政策路線である。
 震災前(第9回)までの議論をまとめると次のようになる。財政破綻(国債価格の暴落)に至る確率が非常に高いという前提なら、日本の公的部門が円建て債務をあえて増やしてでも外貨建て資産を蓄積するほうがよい(あるいは為替リスクを公的部門があえて引き受ける政策が望ましい)。
 ところで、この筆者の議論は、「財政再建をあきらめるべきだ」ということを意味しない。逆に、外貨建て資産を政府部門が蓄積すれば、そのことによって財政再建を実施するための時間が稼げる。だから、「外貨建て資産の公的蓄積」は財政再建を進めるための補完的な環境整備として位置付けることができるのである。
 連載のタイトルに引きつけて論じるならば、この政策はゲーデル的な自己言及性を大規模に実践する政策とでも表現することができるだろう。それは次のように説明できる。
 外貨建て資産あるいは為替リスクを日本の公的セクターが非常に大量に保有している場合、国債が暴落して円安になれば、大きな為替差益を得る。そのため財政の悪化は緩和される。その結果、国債の価格下落は小幅にとどまらざるをえない。一方、もし、逆に国債の暴落が起こらなければ、円高が続くために、外貨建て資産が政府に為替差損をもたらす。この場合は、政府の財政状態は悪化する。しかし、国債暴落が起こるなら、財政は改善されるので、大幅な国債暴落は起こらない。
 つまり、政府が外貨建て資産あるいは為替リスクを大量に保有すれば、大きな国債暴落はどう転んでも発生しない、ということになるのである。
 いいかえると、「財政破綻は避けられない」という前提に立って、破綻時のダメージを緩和しようとする政策が、結果的に財政破綻が起こる確率を小さくする。あるいは、財政破綻を小幅なものに緩和する。

「嘘つきのクレタ人」になる日本財政
 これはちょうど、日本の公的セクターが「嘘つきのクレタ人」のパラドックスを実践するようなものといえる。自己言及命題の代表例として有名な「嘘つきのクレタ人」とは、「『自分は嘘つきである』というクレタ人がいる。このクレタ人は嘘つきか、正直者か」という設問だ。もしクレタ人が嘘つきなら「自分は嘘つきだ」というクレタ人の発言は真のはずだが、発言が真ならば、クレタ人は正直に真の発言をしたことになり、クレタ人は正直者であった、ということになる。クレタ人は嘘つきである、と仮定すると、彼は正直者であるという結論になり、逆に、クレタ人は正直者であると仮定すると、彼は嘘つきであるという結論に導かれる。結局、クレタ人が嘘つきか正直者か決定することはできない。
 円建て債務を増やし、外貨建て資産を積み増す政府は、ちょうどこの「嘘つきのクレタ人」と同じ立場に立つことになる。政府が外貨建て資産を大量に保有することは、政府自身が「自分が発行した円建て国債が暴落する」ことに賭けているのと同じだ。政府自身が財政破綻したときに為替差益が得られるように、ポートフォリオを組んでいるからである。
 「自分は財政破綻するつもりだ」と公言しているに等しいこの政府は、嘘つきか、正直者か。
 財政破綻が起これば、為替差益で財政が改善するので、破綻が実現することはない。一方、破綻が起こらなければ円高で外貨資産が目減りし、政府のバランスシートの悪化は進んでいく。こうして財政破綻するでもなく、財政が抜本的に改善するわけでもない、という宙ぶらりんの状況が長引くことになる。外貨資産の公的蓄積は、つまりは時間稼ぎとなり、正統派の「財政再建策」を実行するための時間的余裕をつくるのである。
 財政の健全性を取り戻すために必要な財政再建策については多言を要しないだろう。歳出の削減、税制改革による歳入の増加、そして、経済成長率を向上させることによって、財政状況を改善させることである。これらを進めるには、政治的な決断が不可欠である。外貨建て資産の保有を政府が増やすことは、政治的プロセスのための時間を稼ぐことになるわけである。
 また、外貨建て資産の公的蓄積は、円高を是正する効果や民間企業の対外投資を促進する効果を発揮すると期待される。短期的なマクロ政策としては、外債を使った金融緩和政策と同じような効果があると見込まれるからである。日本銀行が外債購入によって日本円の通貨供給を増やす、という政策と同様といえる。昨今の資源価格や食料価格の高騰というリスク要因はあるものの、円高が是正されれば、相当の規模で外需が回復し、2000年代前半と同じような経済成長がもたらされると期待できる。
 外貨資産の公的蓄積によって円高是正が進み、外需主導で景気が回復すれば、かなりの税収増が期待できる。それだけで財政破綻の懸念は大きく後退することになる。この面でも、われわれは、本格的な財政再建を進めるための時間的余裕を得ることができるのである。
 ここまでの話は、日本経済が大震災前と変わらず需要不足経済(デフレ経済)であることが議論の前提である。この前提が変わるとどうなるか。次回はこの点を論じたい。

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