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2011.02.03

第三回 無限大発散経路に入った日本の政府債務

ゲーデルの貨幣-Ⅲ-政策篇(3) 『週刊金融財政事情』 2011年1月31日号に掲載

消費税30%でも持続不可能に
 リーマンショックのあとに定着した円高傾向は、欧米経済の脆弱化の裏返しで、日本経済の相対的な健全性を示している、というのが大方の理解であろう。しかし、日本の財政の持続可能性をみると、「趨勢的に円高が続く」という認識がどうして共有されるのか不可解である。現在の日本財政の膨張したバランスシートを立て直す過程では、かなり厳しい円安が生じる可能性が高いと思われる。つまり、「現在=円高」と「将来=円安」に大きなギャップがあり、このギャップをスムーズにつなぐ景気変動の「経路」が想定しにくいのである。 政治が強力な指導力を発揮して、十分な歳出カットと増税が実施できれば、インフレと円安は起こらない。しかし、次に述べるように、そうなる可能性はきわめて低いと思われる。では、円高傾向がだらだらと続き、ある日突然、日本財政への信認が失われて、国債暴落と激しいインフレ・円安が発生する、というクラッシュが起こるのだろうか。もしそうなら、現在の円高に適応しようとする日本企業の努力は、過剰適応ということになる。長期的に円安になるなら、最適な雇用や工場などの配置も違ってくるはずだ。
 日本の政府債務は二つの要因で膨張した。第一に、1990年代は景気対策で民間部門にあいたバランスシートの穴を政府部門に移転したために政府債務が膨張した。第二に、90年代半ばから2000年代には高齢化による社会保障費の増大が大きな債務膨張圧力になってきた。現状では、増税も歳出カットも進まないなかで、債務は明らかに発散経路(政府債務の対GDP比率が無限大に向かって発散する経路)に入っている。
 日本の政府債務の持続可能性については、さまざまな試算がある。04年にコロンビア大学のワインスタイン教授らが示した試算では、日本が適度な財政改革を行えば、現在の欧州よりも国民負担率を小さく抑えたままで、政府債務の持続可能性は維持される(つまり政府債務の対GDP比率が発散しない)、とされた(注)。
 もっとも、より厳しい想定のもとで土居丈朗・慶応大学教授がワインスタインらの結果を追試したところ、社会保障給付の抑制と相当の増税が必要になる、という結果がでている。
 これらの試算は、日本の財政が持続できることを前提に、そのための増税額などを試算するものだが、試算から数年、今日まで財政の悪化は続いてきた。
 10年末現在では、政治的に実行可能な増税や歳出削減によって財政を持続可能な経路に乗せることは、もはやできなくなってしまったのではないか。
 日本の財政問題にも詳しい南カリフォルニア大学のイムロホログル教授の試算では、いま即座に消費税率を30%に引き上げても、数年後にはふたたび財政赤字が定着し、日本の政府債務は結局、無限大に発散する経路に入る、という。いますぐ消費税を30%にしても財政は持続不可能なのである。
 同様な結果は、内閣府の研究でも指摘されている。同研究で、ワインスタインらの手法を使った白川浩道氏(クレディ・スイス証券)の推計では、社会保障給付を抑制しなければ、消費税を11年から32%に増税してようやく財政は持続可能になる。しかも、この試算は名目GDP成長率をゼロ%と仮定している。デフレが続いて名目GDPがマイナス成長になると、もっと消費税を上げなければならなくなる。 このような大幅な増税が、現時点で予想可能な政治的情勢において、実行可能とはとても思えない。
 建前としては、政府は実効性のある財政再建プランを提示する責任がある、というべきかもしれない。しかし、消費税30%でも不十分だとすれば、そろそろ財政再建ができなかったときにどうするか、を考えるべき時期なのではないか。あるいは、財政再建ができないことを見越して、いま何をすべきか、を構想しておく必要があると思われる。
 「財政再建」という名の戦争を戦っているときに、「敗戦処理」を考えることは、一見、不謹慎で矛盾しているようにみえるかもしれない。しかし、準備不足で国債暴落を迎えるのは国民にとって最悪である。早い段階で敗戦処理の構想を練ることこそ、当局の責任であるように思われる。

悪性インフレが唯一の解決策
 財政再建ができなければ、いずれ日本国債に対する市場の信認が失われ、戦後の「悪性インフレ」のような形で債務削減が実現するしかない。つまり、かなり高率のインフレが発生し、国債保有者が大きな損失を被ることによって政府のバランスシート調整が完了するということである。
 インフレによる国債の実質価値の下落は、国債保有者に対する資産課税と同じ効果をもつので、インフレは国会議決を経ない「インフレ課税」と呼んでよいだろう(学術書での「インフレ課税」の定義とは若干異なる)。
 高齢化による社会保障費の膨張という構造問題は、物価スライドを抑制するなどの調整をしても、インフレでは解決できないかもしれない。
 しかし、90年代以降に民間から政府に移転された「バランスシートの穴」については、インフレ課税によって、国民から政府部門に大きな所得移転が起こることによって解消されるはずである。これで、90年代初頭からの日本経済の宿題がようやく終わるわけである。
 ただし、政府のバランスシート調整に際して、日本経済が底なしに沈むことはない。国債価格が暴落し、インフレが進む局面では、為替は相当の円安に振れるはずである。急な為替変動やインフレ、金利高などのために日本経済は一時的に大混乱となるだろうが、円安の水準で経済環境が安定すれば、輸出競争力が回復し、経済成長が戻ると思われる。
(注) Broda, C., and D. E. Weinstein(2004)"Happy Newsfrom Dismal Science : Reassessing the Japanese Fiscal Policy and Sustainability." NBER Working Paper 10988.

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