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2010.11.14

農業界の敗退と農業の勝利 政府のTPP対処方針を読み解く

WEBRONZA に掲載(2010年11月14日付)

 TPP(環太平洋パートナーシップ協定)や日豪や日韓のEPA(経済連携協定)交渉等に対する政府の考え方を示した「包括的経済連携に関する対処方針」が11月6日に決定された。
 1週間程度海外に出張して10日に帰国したとたん、私はたくさんのマスコミの方々からこの対処方針をどう評価するのかというインタビューを受けた。TPPについて、「その情報収集を進めながら対応していく必要があり、国内の環境整備を早急に進めるとともに、関係国との協議を開始する。」という表現について、関係国との協議開始は明記したものの、参加の判断を先送りしたことを不十分だとしているようだ。
 そうなのだろうか?役人のはしくれとして政府の作成する文章にかかわった者として評価すると、これは自由貿易推進派の大勝利である。
 我が国が大きな外交的な決断を明確に行うことができるのは、飲むか飲まないのかをせまられるぎりぎりの局面である。8年もかけたガット・ウルグァイ・ラウンド交渉は1993年12月15日に終了したが、細川総理が米の部分開放を含む合意全体の受け入れを表明したのは、その前日の14日だった。今回はAPECで総理がどう発言するかという点で11月上旬に対処方針を決める必要があるというだけで、のるかそるかの明確な決断を迫られるような局面ではなかった。農業界が大反対している以上、表現があいまいとなるのは当然である。
 そのなかで100%近くの品目を例外なく対象とするTPPについて関係国との協議開始を明記したことは画期的なことである。これを踏まえてAPEC首脳会議で総理はTPPに前向きな発言を行った。各国とも議長国日本の貿易自由化に対する積極的な対応を評価しており、国際的にもコミットしたと受け止められたようだ。我が国の農協や農水省などの農業界は、情報収集や協議の結果参加しないこともありうるという身内への主観的な説明は一応可能ではあるが、客観的に見ると内堀も外堀も埋められた大阪城のような状況である。
 TPPだけではない。自民党政権下では日豪や日韓のEPAも止まっていた。これについて、「現在交渉中のEPA交渉(ペルー及び豪州)の妥結や、現在交渉が中断している日韓EPA交渉の再開に向けた取組を加速化する。」と書き込んだ。強烈なTPPに農業界の焦点をあてさせることによって、農産物大輸出国である豪州を相手とする協定であっても、ある程度例外品目も可能なEPAの方がまだましだ、これまで反対すると国民の支持が得られないと、農業界に判断させたのだろう。
 また、韓国がEUとEPAを結ぶことによって、テレビや自動車について関税ゼロで輸出できることとなった韓国との競争条件が不利化し、我が国経済界からは日EU間のEPA締結に強い要請がなされていた。これまで、日本の工業製品の関税が低いためEPAのメリットを感じてこなかったEUであるが、TPPで日本の農産物の関税がアメリカ、豪州にとってゼロとなると、チーズの輸出に関心を持つフランス(豪州、NZと競合)、豚肉の輸出に関心を持つデンマーク(アメリカと競合)を抱えるEUは、日EU間のEPA交渉に応じざるを得なくなるだろう。EPAのドミノ化現象である。今回の対処方針で日EU間のEPAにも踏み込んだのは、そのような読みもあるのかもしれない。
 さらに、TPPも二国間のEPAも総括した方針として、「センシティブ品目について配慮を行いつつ、すべての品目を自由化交渉対象とし、交渉を通じて、高いレベルの経済連携を目指す。」とした。解説すると、センシティブ品目とは米など重要な農産物という意味であり、ここでは農業界の顔を立てながら、米も含めすべての品目を例外なく自由化交渉のテーブルに乗せることによって、例外品目のほとんどないという意味の「高いレベル」の経済連携を目指すと明記したのである。
 農業については、「国内生産維持のために消費者負担を前提として採用されている関税措置等の国境措置の在り方を見直し、適切と判断される場合には、安定的な財源を確保し、段階的に財政措置に変更することにより、より透明性が高い納税者負担制度に移行することを検討する。」としている。
 高い国内価格という消費者負担で農業を保護するというやり方のため高い関税が必要となる政策を見直し、財政からの直接支払いによって農家を保護するというアメリカ、EU型農政への転換の表明である。「適切と判断される場合には、」という文言を挿入したのは財務省であろう。消費者は国産農産物を購入するときに国際価格であればX円で購入できるのに関税があるためにそれより高いY円で購入しているのだと明確に認識しているわけではない。どれだけ財政負担が必要かが明確となる納税者負担制度が「より透明性が高い」というのは、この趣旨である。
 今回農水省は関税がゼロになると農業生産額が4兆1千億円減少するという試算値を公表した。影響の大きさを示したかったのだろうが、図らずも消費者にこれだけの負担を強いているという表明になってしまった。農政の消費者負担額を自ら可視化(見える化)してしまったのである。
 菅‐仙石ラインの勝利である。鹿野農水大臣も抵抗したものの、罷免権を持っている親分の総理が前向きになっているのに、徹底抗戦などできるはずがない。
 農業界は敗退した。しかし、農業は勝利した。高齢化で一人当たりの食料消費が減少し、さらに人口も減少する中では、これまで高い関税で守ってきた国内農産物市場が縮小することはだれの目にも明らかである。農業を維持・発展しようとすると輸出による海外市場開拓に乗り出さざるをえない。輸出しようとすると、外国の関税や非関税障壁は撤廃される必要がある。そのためにTPPやEPAが必要となるのである。
 人口減少時代の下での10年後、20年後の農業ビジョンを持てず、現状をなんとか守ればよいと考える農業界にとってはTPPによる貿易自由化は攘夷の対象だろうが、日本農業にとって貿易自由化は海外に雄飛するための魅力ある手段である。私が「農業開国論」を唱えてきたのはこの理由からである。今の農業界に勝海舟も坂本龍馬もいないこと。これが日本農業にとっての最大の不幸である。

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