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2009.12.17

第十五回「不良資産と内部貨幣の消失(その一)」

「ゲーデルの貨幣」-自由と文明の未来- 危機編 『週刊金融財政事情』 2009年11月23日号に掲載

銀行取付けと金融危機は同質
今回の金融危機では、貨幣の消失が実物経済の悪化を引き起こしていたことが示唆されている。金融市場では、内部貨幣(金融機関同士の短期信用)が消失したことは間違いない。この貨幣消失が実物経済の悪化をもたらしたことを認めるとすると、問題は、貨幣消失の原因である。
今回の金融危機における内部貨幣の消失は、銀行取付けと本質的に同じ現象だと考えられる。本連載第10回(10月19日号)で紹介したように、シカゴ大学のロバート・ルーカス教授も、「今回の金融危機は銀行取付けの現代版である」と論じている。ゲイリー・ゴートン教授(イェール大学)、ヒュン・ソック・シン教授(プリンストン大学)など多くの経済学者が同様の見方を示している。
銀行取付けのような「取付け」現象が起こる原因に関しては、大別して二つ説がある。一つは、経済実態に関係なく市場に悲観論が蔓延し、一種の群集心理の結果としてパニックが起こる、という説。ファンダメンタルズに大きな問題がなくても、金融機関が一斉に取付けに走り、その結果、内部貨幣が急減することになる。銀行取付けの古典的モデルはこの説である(Diamond―Dybvigのモデル)。このモデルは、悪い予想が自己実現的に的中してしまうというメカニズムである。Diamond―Dybvigのモデルは、19世紀や20世紀初頭のアメリカで季節的に頻発した銀行取付けを記述したもので、各地域で孤立した地域金融機関の破綻のメカニズムを説明するものだといえる。
しかし、これを現代の複雑な金融システムに適用するのはやや問題がある。このモデルが正しいなら、市場参加者の「期待」が悲観的になれば内部貨幣量が急減し、「期待」が楽観的になれば内部貨幣量が急増することになる。また、経済のファンダメンタルズとは無関係に金融危機が発生することになる。こうした特徴は、金融危機のモデルとしてはいささか現実から距離がある。
もう一つの銀行取付けの学説は、実体経済が悪化し、銀行の資産内容が悪化したために、預金者や債権者(他の金融機関)が取付けに走る、というもの。この説では、実物的な要因(景気の悪化やバブルの崩壊を想定しているものと思われる)によって銀行の資産内容が悪化すると金融危機が起こることになる。それだけではなく、金融危機は実体経済の悪化に対する最適な反応である(かもしれない)と提案者たちは主張する。この説は1998年にペンシルバニア大学のフランクリン・アレン教授とダグラス・ゲール教授が提唱したが、金融契約が不完備な世界では、銀行取付けは、その不完備性を補う経済行動であるため、経済の厚生を高める場合がある。単純化したモデルで、アレン教授らは、「実体経済が悪化したときに銀行取付けが起こる場合には、それが起こらない場合に比べて、社会厚生が高まる」ということを証明した。彼らは、銀行取付けそのものは経済的な損失をもたらすわけではなく、むしろ、実体経済の悪化という悪い環境のなかでは、銀行取付けを起こすことこそ社会厚生にとって最適の経済行動だと「最適金融危機」説を展開した。しかし、銀行取付けが本質的に経済的損失をもたらさない、という説は直感と合わない。

金融危機のもう一つの解釈
そこで、ここでは金融危機を説明するもう一つの考え方を提示する。不良資産の発生による資産市場の崩壊が、内部貨幣の消滅を引き起こすという考え方である。これをかりに「金融危機の不良資産理論」と名づけたい。不良資産が発生したために資産取引が凍結し、資産市場が崩壊した、ということは、昨年来の金融危機に際して多くの経済学者が指摘している。今回、新しい論点は、不良資産の発生が(資産市場の崩壊を経由して)内部貨幣の消滅をもたらした、という仮説である。不良資産が内部貨幣を消滅させ、実物経済で生産や雇用を悪化させる、と考えると、昨年来の世界経済が直面した危機の本質を、非常にシンプルにとらえられるのではないか。後述するように、この仮説は興味深い政策分析や政策提言ももたらす。
まず、理論の前段の部分、すなわち、「不良資産の発生が資産市場の崩壊をもたらす」点を確認したい。これは、1970年にジョージ・アカロフ教授(UCバークレー)が中古車市場について論じた「レモン市場」の問題というよく知られた現象であり、今回の危機では「カウンターパーティー・リスク」と呼ばれている。
アカロフは、中古車の品質について買手は売手ほど正確な情報をもっていない、という情報の非対称性に着目した。中古車市場には、優良な中古車とポンコツ(不良資産)が存在するが、買手は、外見からは優良な中古車かポンコツかを区別することはできない。一方、売手は中古車の品質について詳細な情報をもっている。このような情報の非対称性があると、売手は高い値段でポンコツを売りつけたいという誘惑にかられる。それを知っている買手は、(きっとポンコツを買わされると予想するので)中古車市場で高い価格を提示しなくなり、ポンコツに見合った価格でしか中古車を買おうとしなくなる。売手も、市場価格が低いので、ポンコツ車しか売ろうとしない。結果的に、中古車市場では優良な中古車の取引は消滅し、ポンコツ車しか取引されなくなってしまう。英語の俗語でポンコツの中古車のことをレモンということから、アカロフは情報の非対称性(および逆選択)による資産市場の崩壊現象のことを「レモン市場」の問題と呼んだ。
情報の非対称性による資産市場の崩壊は、今回の金融危機で多くの識者が指摘している。だれ(どの金融機関)がどれほどの不良資産をもっているかわからない、だれが金を返せずに倒産するかわからない、というカウンターパーティー・リスクは、中古車市場でどの車がポンコツか優良かわからない、というレモン市場の問題と本質的に同じなのである。
(次回に続く)

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