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2009.09.15

第六回「経済学における貨幣の扱い」

「ゲーデルの貨幣」-自由と文明の未来- 危機編 『週刊金融財政事情』 2009年9月7日号に掲載

マクロ経済学が想定する理想的交換市場
前回は、標準的なマクロ経済学の描く経済モデルでは、金融システムは家計の貯蓄を企業の投資につなぐ「パイプ」のような受動的な存在と想定されていることをみた。以下では、現代の経済学において「貨幣」がどのように扱われているのかを概観する。考察の対象とするのは、景気変動を扱うマクロ経済学と、金融危機などを扱う銀行理論である。
マクロ経済モデルのなかには、インフレやデフレによって価値が変わる「貨幣」という存在は、基本的な要素としては入っていない。貨幣という存在を無視して、どうして経済理論が成り立つのか、と一般の読者はいぶかしく感じるだろう。筆者の考えでは、その答えは「標準的なマクロ経済学が、交換の媒体(支払手段)を必要としない理想的な交換市場を想定しているから」ということである。
景気循環の問題を扱うマクロ経済学では、資産や財の市場は情報の非対称性や契約の不完備性が存在しないという意味での「完全競争市場」と想定される。売手と買手の間に情報の非対称性(財の品質について買手が十分な情報をもっていないなど)や契約の不完備性(社会的、法的な制約から、債務不履行を起こした債務者に課すペナルティを当事者が契約で自由に設定できないことなど)が存在すると、市場取引にゆがみが生じる。しかしそうした市場のゆがみは、基本的にミクロ経済学のレベルの問題であって、マクロの経済全体で均してみれば、それほど大きな影響を景気動向に及ぼさないという暗黙の前提があったのだと考えられる。そこで、景気変動の研究の出発点としては完全競争市場を想定し、そこに、さまざまな市場のゆがみを生み出す「要因」を導入してモデルの振る舞いを研究する、という研究アプローチが定着した。このアプローチで、現実の経済変動を引き起こす「要因」をみつけ出そうとしたのである。物理学で、まず摩擦の存在しない理想状態(完全競争市場にあたる)で粒子の運動を研究し、そこにさまざまな摩擦(市場のゆがみにあたる)を付け加えて、現実の物体の運動を研究しようとするのと同じアプローチである。
完全競争市場の大きな特徴は、特別な交換の媒体(支払手段)となる存在、すなわち「貨幣」が必要とされない、という点である。完全競争市場では、あらゆる財と財、財と資産との交換が可能であると想定される。同じ価値のりんごとみかんの交換を申し出た場合、相手が「現金での支払いでなければ取引をしない」といって拒否することは、完全市場では起こらない。貨幣が仲介しなくても、経済取引はすべて可能と想定されているのである。

ニュー・ケインジアン・モデルは平時の金融政策分析ツール
このような理想的な市場では、売手も買手も互いの情報を完全に知っているので、だまされることもなく、信用取引や物々交換によってすべての経済取引が実現し、貨幣が必要とされない。マクロモデルの世界に交換の媒体としての貨幣を導入する試みとしては、もちろん多くの優れた研究があり、その紹介と考察は後の回で詳しく論じる。ここでは、景気循環や中央銀行の金融政策を分析する標準的な枠組みである「新しいケインズ経済学(ニュー・ケインジアン)」のモデルで、どのように貨幣が導入されているのかを紹介する。
ニュー・ケインジアンのモデルでは、貨幣は導入されている(そうでなければ、中央銀行の金融政策を分析できない!)。
しかし、貨幣は、交換の媒体として機能する存在とは想定されていない。この点が、ニュー・ケインジアンの景気循環モデルの大きな問題だと思われる点である(これは新古典派の実物的景気循環モデルにも共通する問題点である)。
ニュー・ケインジアン・モデルにおける貨幣は、たんに「名目価格」を定める「尺度」として導入される。財や資産の価値を表示するある会計単位(たとえばドルやユーロや円など)が導入され、その会計単位で表示した財や資産の「名目価格」が導入される。その名目価格を表示する存在として「貨幣」の存在が暗黙のうちに導入されるのである。このニュー・ケインジアンの考え方では、「貨幣=会計単位」であり、貨幣は会計単位以上の意味をもたない存在なのである。この設定のなかで、「価格の粘着性(一言でいえば、価格が正しく表示されないこと)」というケインズ経済学ではおなじみの市場のゆがみが導入され、価格の粘着性が景気循環や金融政策にどのような影響を与えるのか、という問題が研究される。これがニュー・ケインジアンのマクロ経済学の構造である。
「価格の粘着性」とは、ニュー・ケインジアンのモデルでは、企業などの経済主体が自身の生産物の名目価格(ドルなどの会計単位で表示した財の価格)を「いつでも自由に変化させる」 ことができず、ごくたまにしか、設定価格を変化させる機会が訪れない、という状況として仮定されている。
こうした理論構造が採用された理由は、ニュー・ケインジアンの関心が、名目価格の変化(インフレやデフレなど)と実物経済の変化との関係を分析の主要なターゲットと考えてきたからにほかならない。いいかえれば、「交換の媒体としての貨幣と実物経済の変化との関係」は、分析対象とは最初から考えられていなかった。交換媒体としての貨幣の役割が、マクロ経済に影響を与える大きな問題だとはニュー・ケインジアンは考えていなかったわけである。したがって、交換媒体(あるいは支払手段)の問題は、理論構築の前に、仮定によって、捨象されてしまっていたのである。
今回の金融危機について、マクロ経済政策の分析の標準装備とされるニュー・ケインジアンの経済モデルは、有効な政策提言を行うことはできなかった。
ニュー・ケインジアンの政策分析が有効だとしても、それは、やはり平時の金融政策の分析に限定される。このことが今回の危機で再確認されたということができよう。

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