ダニエル・イノウエ議員の死去に思う

 12月17日の夜、同日午後5時30分ごろ、ダニエル・イノウエ議員が入院先のウォルター・リード陸軍病院で呼吸不全のため亡くなったという訃報に接した。享年88歳であった。心よりご冥福をお祈り申し上げたい。
 ハワイ州ホノルル生まれの日系アメリカ人で、第二次世界大戦中は、陸軍で日系人だけで構成された第442部隊に属し、欧州戦線で戦った経歴を持つイノウエ議員は、1959年に初の日系アメリカ人として米連邦議会下院に初当選、1962年に上院に当選してから亡くなる今日まで9期、期間にして49年349日、上院議員を務めた。これは上院議員在職歴としては史上2番目の長さである(最長記録を持つのはロバート・バード前上院議員で、在職期間は51年176日になる)。2010年からは、上院議員の中で最も序列が高い立場になり、大統領継承権第3位の上院議長代理(注:上院の議長は副大統領である)という、アメリカの政治家の中でも一握りの人間しかたどり着くことができない地位まで上り詰めた。第二次世界大戦中に負傷して入院していた軍の病院で同室になり、暇つぶしにトランプをしていた相手が、のちに共和党で上院院内総務という、上院議員としての事実上トップの地位につき、1996年には大統領選にも出場したボブ・ドール氏だったという話は有名で、「生きるアメリカ政治史」とでもいうべき存在の人だった。ハワイ州が米国本土と同等の地位になるための運動や、ネイティブ・アメリカンの権利、第二次世界大戦中に収容所に入れられた日系人への賠償問題などに力を入れたことでも知られている。
 私は、ワシントンDCの日本大使館で働いていた時に業務の一環としてやるようになった通訳が意外と自分に向いていたため、実は数年前まで、日本からワシントンを訪れる国会議員の通訳を時々していた。おかげで、ゴルフコースの芝目からイラク情勢、時にはちょっと下品な話題まで、ありとあらゆる問題を顔色一つ変えずに日本語と英語の双方向で通訳することができるようになった。通訳と代議士という立場ではあるが、日本の多くの国会議員と顔を合わせる機会も得た。当時の経験は今の仕事にも非常に役立っている。特に、興味深かったのは、日本のどんな国会議員に対しても、常に誠意に満ちた神妙な面持ちで懇談に臨んでくれる米国の議員が二人いたことだ。一人はすでに故人となってしまったマンスフィールド元駐日大使(ちなみに、日本ではあまり知られていないが、マンスフィールド大使は、アメリカでは駐日大使としてよりも、民主党上院院内総務を最も長く務めた上院議員としての方が有名で、議員を引退してからはAmbassador ではなくSenatorと呼ばれていた)。そしてもう一人が、今日、惜しくも故人となってしまったイノウエ上院議員である。
 お二人とも民主党の議員であり、知日派であり、日米関係は米国にとって極めて重要だという認識をお持ちであったことは共通項なのだが、それ以外にもう一つ共通項があった。とにかく、物腰がとても柔らかかったのだ。マンスフィールド大使は、国会議員が到着すると、まず自分で人数分のお茶を入れ、クッキーを勧めるので有名だった。イノウエ議員はそこまでサービスはしないが、時には10人近くになる国会議員団の一人一人と握手をし、記念撮影にも快く応じていた。しかし、政策の話題になると、穏やかな口調で、しかしメモや資料などは全く見ずに日米関係はもちろん、米中関係、北朝鮮情勢、イラク情勢、と「政策通」を自認する国会議員でも圧倒されてしまうような議論をする。個人的には、マンスフィールド大使が、懇談が終わると、私にも「よくできていたね」と声をかけてくださること、日本語が間違いなくペラペラなはずのイノウエ議員が、私のつたない通訳を遮ることなく最後まで聞いてくれ、懇談の終わりにはかならず労ってくださったことに、毎回感激していた。
 マンスフィールド大使やイノウエ上院議員のような議員の存在を失うことは、実は日本にとって大変な痛手だ。米議会には長年「日本に関する議員勉強会」は存在するが、議会内での存在感は今一つだ。しかし、上院院内総務経験者であるマンスフィールド氏や、上院歳出委員長を務めるイノウエ議員のような大物政治家が「日米関係は重要だ」「日本はアジアで米国にとってなくてはならないパートナーだ」と言えば、その声は、狭い日米関係専門家のコミュニティーをはるかに超えたところまで届く。米国政治の本流の中で力を持つ人が日本や日米関係に対して理解があることは、現在の日米関係が、もはや一握りの日米関係専門家だけで維持・管理するものでなくなってきている以上、極めて重要なことだ。しかし今、両氏の後に、そのような役割を担ってくれるような議員が米議会にいるかと問われれば、甚だ心もとない。先月、加藤良三・元駐米大使が「第二のアーミテージを作ろう」という論説を朝日新聞に寄稿されたが、ワシントンにいると、「第二のマンスフィールド」「第二のイノウエ」を作ることも同じぐらい、いや、それよりもっと大事なことのように感じられる。

(辰巳由紀 キヤノングローバル戦略研究所主任研究員)

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